子供がバレエをやりたい!と言い出した
娘が保育園に通園してた時、お友達がバレエを習っていて発表会の写真を見せてもらった事がありました。
その時は全く他人事で話をしていて、発表会に¥20万かかったと聞き
「すごいね~!
とてもそんな習い事、させられないわ~!」
驚いた私は、そう答えたものです。
それがまさか同じ境遇、イヤ、うちはさらに上を目指す結果になろうとは、全く知る由もなかったです。
まさに娘の子供時代はバレエ人生そのものでした。
バレリーナになりたい!
娘がバレエに興味を持ったきっかけ
娘がバレエを始めたのは、小5の時でした。
普通バレエを始める子は3歳とかかなり小さい頃が多いのですが、その頃は全くバレエには縁のない生活をしていました。
娘を自分の子供のように可愛がっていた、夫のお義母さん・・・またの名を追っかけおばあちゃんと呼んでいましたが、その追っかけおばあちゃんはピアノが好きでした。
自分でもピアノを弾いていましたが、娘にピアニストになって欲しいと心から願い、電子ピアノは買ってもらえるわ、月謝も払ってくれるわで、3歳からずっとピアノを習っていました。
YAMAHA音楽教室のグループレッスンから始めて、途中から個人レッスンに変えて、先生とも気が合い、それなりに楽しい趣味としてピアノを弾いてましたし、発表会にも出ました。
その頃私は、パッチワークの指導員や洋服を製造している会社に勤めたりしていて、趣味で洋裁もやり、子供の服や自分の服を作っていました。
当時YAMAHAの受付にいた女性と仲が良くなり、話をするようになり、のちに彼女がバレエの先生だと知りました。
そしてある日、彼女が言いました。
「ねえママ?ママは洋服作るのが上手だから、バレエの衣裳作れないかしら?
もしできれば手伝ってもらいたいの」
「衣裳ですか~?
バレエの衣裳ってどうなってるかわからないので、見てみないとわからないけど、私は洋裁は自己流なので・・・」
「サンプルがあるから、今度持ってきていいかしら?」
「お手伝い程度なら、できればやってもいいですよ」
そんな流れで、まずは私の衣裳作りから始まったのです。
お手伝い程度と聞いてましたが、実際はバンバン作らされましたが(笑)
それから私はほとんど先生の専属の衣裳担当になりました。
レッスンスタジオに行き、衣裳を着る子供たちの採寸に頻繁に行くようになりました。
当時3年生だった娘も連れて行き、なんとなく見学するようになりました。
私も綺麗な衣装を身に着けている子供たちを見ていると、自分の娘にも着せてみたくなり、何回かバレエをやってみないか聞いて見ました。
目立つ事が嫌いな娘は
「人前で踊るなんて絶対嫌だ!」
最初は拒んでいました。
無理強いはしたくないので、そのまま私は衣裳作りのための採寸、フィッティングをするため何度もレッスンスタジオに顔を出しました。
そのうちバレエを習っている子供たちやお姉さんたちに、娘は声をかけてもらうようになり、仲良くなり始めました。
広いスタジオの隅にパーテーションがあって、2帖ほどのスペースがあり、その中で生徒さんたちは着替えをしていました。
着替えながら、ワイワイ、キャアキャア声がしてきます。
娘は中が見えないので、余計その中が気になり始めました。
5年生なったある日
「私も、あの中に入りたい!
みんなで一緒に着替えたい!」
そう言い出しました。
「え?そこ・・・?」
娘の目の付け所が意外すぎて驚きました。
すかさず、先生と生徒さんが
「〇〇ちゃん、一緒にやろうよ!」
「うん!」
なんとも変わった動機で娘はバレエを始めたのでした。
周りの子供たちともすでに顔見知りになっていたし、さんざんレッスンを見学していた娘はすんなり溶け込む事ができ、初回から楽しそうにレッスンを受けていました。
また先生もうまい!
褒める褒める→喜ぶ→モチベーションが上がる→もっと褒められたくなる→がんばる→褒められる・・・
そして娘はどんどんバレエが上達するのでした。
子供のバレエが上達するようになった秘訣
先生のレッスンの特徴は
- モチベーションを上げるのがうまい
- 生徒さんをプロに絶対する!という意気込み
- 少人数
- 地元のイベントにどんどん出演させる
- 冗談を交えたアットホームな楽しいレッスン
- 親の派閥を作らないワンマンタイプ
その時はわからなかったのですが、バレエ界の中で特に有名でもなく、かなり適当なところもあったようです。
でも娘はこの先生によって、遅咲きではあったにもかかわらずプロになりたい!と思うようになったのです。
このぐらいの年齢になると、親だけが子供を育てるのではなく、第三者の影響が強くなるんですね。
そうです、子供・・・いや人は出会った人によって人生がガラッと変わるんですね。
ですからかわいい子には旅をさせよという言葉がありますが、ある程度の年齢が来たら少しでもたくさん外に出し、いろんな人と接する事は大事ですね。
ただその頃は、子供の連れ去り事件とか宮崎勤事件も私の住んでいた場所の近くだったので、1人で通わせるのも怖いばかりか、ちょっと外で遊ばせるのも怖く、スタジオまで車で30分、毎日送り迎えをしていました。
宮崎勤事件
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件とは (トウキョウサイタマレンゾクヨウジョユウカイサツジンジケンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
どんどんバレエにのめり込んで行った娘は、小学生の始めた頃から、遊びの予定が入っていない時はバレエに、中学生になってからは、部活を入らずにほぼ毎日バレエのレッスンに行くようになりました。
小さい頃から習っていたピアノも、バレエを優先させたいという理由で辞めました。
先生によって自信も持てるようになった娘は、発表会にもコンクールにも積極的に出るようになりました。
舞台を1つ1つ重ねる度にどんどん上手くなっていくのです。
私は自分が作った衣裳を娘に着せる事ができ、舞台でキラキラした姿を観て感動して涙が出た事も何度もありました。
経済的には大変でしたが、衣裳を作る事で少しはカバーできましたし、キラキラ輝いてどんどん成長してゆく娘をずっと見守って行きたいと思いました。
バレエの大きな発表会に出演
6年生になると、大きな発表会・・・それも新国立劇場の小ホールで行う事が決まり、先生も子供たちも心はもうプロという意識でレッスンが始まりました。
その時は私も実は50着以上の衣裳の依頼を受け、断るに断れない状況になり大忙しになりました。
もう1人衣裳担当が入ると聞かされていたのに、一向に入って来ませんでした。
依頼を受けてわずか6ヵ月の間に作らなければならず、困った事に先生の頭の中でどんどん舞台の構想が膨らみ、衣裳の数が増えて行き、最終的には120着ほどを1人で作らなければならなくなりました。
「無理です!」
そう言っても、他に手伝いが入るから・・・と丸め込まれてしまい、先生は演出、レッスンの事で頭がいっぱいで衣裳の方は放置状態でした。
だいたいの先生は、衣裳の縫製に関しては無知な方が多く、先生も例外ではありませんでした。
当日になっても衣裳は終わらず、現場にミシンがあるし、お手伝いが入るから・・・という事で材料を持って、発表会が始まってもひたすら縫い続けました。
あてにしていたお手伝いは結局誰も現れず、先生に尋ねてもスルーされました。
さすがに慌てて、でもせっかくの舞台に衣裳のない子供がいたら大変なので、最終的には安全ピンと仮縫いで対応し、なんとか無事舞台を終わらせる事ができました。
でも・・・私はなんと!そのせいで娘の舞台が観られなかったのです(泣)
娘のバレエは後で、ビデオで観たのであまり舞台の感想は私からは語れません。
娘が満足できれば、そして舞台が成功に終わればそれで良し!という結果ですね。
バレエの先生との確執
心底疲れた私が、大舞台を終えて初めてスタジオに顔を出した時、先生が
「ママ、お疲れさまでした~!」
と言いました。
でもなぜか複雑な顔をして少し気になりました。
帰宅して娘が言いました。
「お母さん、今日先生がお母さんの悪口言ってたよ。
衣裳、ちゃんと終わらせなかったとかいろいろ・・・」
「え・・・?なにそれ?」
信じられませんでした。
すごいメチャぶりしてきた上に、お手伝いもいなくて1人で120着の衣裳を作ったのに。
しかもなんで、私に直接言わないで娘に言うの!?
その時点で彼女に対して信頼をすべて失い、人間性が見え許せなくなりました。
私はすぐに電話をかけ、言いたい事をすべてぶつけ
「もうあなたとは二度と仕事はしません!」
と言って電話を切りました。
いろいろ言い訳を言いかけていましたが、この時ばかりは聞く耳を持ちませんでした。
娘は、私がスタジオに行かなくなった後もしばらくレッスンに行ってましたが、先生のワガママにより辞めて行った先輩や友達もこの時から増えて、後を追うように行かなくなりました。
まとめ
子供の習い事は、親もやらせたいと思うものはいろいろあると思いますが、1番大事なのは本人がやりたいかどうかです。
これは将来この子にとって役に立つからとか、親が好きだから、そんな理由でさせるものではないと思いますし、長続きしないと思います。
ホントに好きなら親がほおっておいても通うし、スキルアップします。
バレエの世界でいうと、親の希望で小さい頃から習わせていた子は、だいたい途中で辞めています。
最後の方で私と先生の確執により、一時期バレエをやっていない時期が数ヶ月ありましたが、娘はすぐに別のバレエ教室を見つけてきました。
やりたい事が見つからない子には、少しでもいろんな体験をさせたり、外に連れ出し、知らない世界を見せる、本屋さんや図書館に行くのもいいと思います。
井の中の蛙大海を知らず!ですよ
自閉症の子育てについて
学習障害の話は、今までのブログで書いてきました。
前回のブログでは多くのくくりである発達障害ついて触れてみました。
今回はその中の自閉症について私が調べた事、思った事、そして体験談について紹介していきたいと思います。
実は、私の甥っ子が自閉症なのです。
自閉症って何?子育てはどうしたらいいの?
自閉症とはどんな特徴があるのか?
自閉症は、学習障害と同じく、発達障害という大きなくくりの中に属しています。
どの症状にしても100人いれば100人違う、性格のようなもので、言葉で説明するのは非常に難しいものがあります。
私たち、障害を持つ親が子供を育てていると、ある程度知識もあり慣れているので
「うちの子はアスペルガーの症状も少しある、自閉症なんだ・・・」
という会話をしても
「ふ~ん、そうなんだ・・・」
で、なんとなく通じるところがあります。
ひとまず、自閉症について詳しく書かれた記事がありましたので、参考にしてみてください。↓
rhttp://mama-espect.com/jiheisyou/
かなり詳しく書かれた内容ではありますが、実際に自閉症の子供に接して見なければわからない、しかも第三者的に見ると、不思議に見える事が多いと思います。
甥っ子が自閉症だという事もあり、私も彼と会ったり、話しかけたりした事はありますが、なかなかどう対応してよいかわからなかったのが事実です。
同じ発達障害でも学習障害の我が子は、コミュニケーションが普通に取れるので全く対応の仕方が変わってくるのです。
甥っ子の母親である従妹に話を聞くと、さすがにずっと一緒にいるだけに、それほどわからない事はなく、1つの個性として捉えていました。
私の持っていた自閉症の先入観
私は、息子が学習障害かも知れないと気が付いた時から、学習障害はもちろんの事、他の発達障害について情報を得る努力をしたり、本を読んだりしました。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n271/n271017.html
この本は、著者が自閉症だったわけですが、私が印象深かったのは、彼女が自分の頭の中に架空の人物を思い描いて話しかけたりして、自分の世界を作っていた事です。
それが自分が意識してやっていた事なのか、無意識なのかわかりませんが、本を書けるという事はある程度、IQがあったのでは?と思ったりもしました。
一般的には
-
集中するとやめられなくなる。
-
突然パニックを起こす。
-
絵が独創的。
-
同じ作業が延々と続く作業が得意。
-
話し相手とコミュニケーションが取れず、他の事を考えてしまっている。
-
相手の目を見て話せない。
これは、私が感じた事なので、みんながみんなそうとは限らないとは思います。考えてみると、コミュニケーションを取る事が難しいと、子育てする上では学習障害よりも大変なのでは?と思いますが、目に見えて障害がわかりやすい自閉症は、特別支援学級に属する事が多いので、他の障害の子供たちに比べると、ある意味守られているのかもしれませんね。
自閉症に関する本
最近では、この手の本もたくさん出版され、体験談であったり、研究、教育本として気軽に手に取る事ができるようになりました。
自閉症の僕が跳びはねる理由(角川文庫)|東田直樹
https://www.kadokawa.co.jp/product/321602000131/
こちらも著者が自閉症のようですね。
著者は何冊か本を書いています。
会話でのコミュニケーションは困難で、パソコン、指文字、文字盤の助けを借りて、自身の意志を伝達する事に成功した、数少ない自閉症者の1人だそうです。
私はまだ読んではいませんが、是非これから読んでみたい本の中の一冊です。
また、自閉症の事を詳しく調べて、解説した本もいろいろ出ています。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062594059
この本は、自閉症の正しい知識、治療、対処法に関して書かれている入門書です。
先ほど紹介したように、自閉症の症状は多岐に渡ります。
何冊か本を読む事によって理解できるかもしれませんね。
自閉症関連の映像
自閉症を題材にした映画もあります。
映像化した方がわかりやすいと思いますので、興味のある方は是非観ていただきたいです。
兄役のダスティン・ホフマンが自閉症の特徴を見事に演じきっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%95%E3%81%AE%E6%AD%A9%E3%81%8F%E9%81%93
こちらはテレビドラマ、草彅剛君が自閉症の役を演じているようですね。
こちらも観ていないのですが、実際観るともっと深く知る事ができるでしょうね。
まとめ
子育てして行く上で、たとえ自分の子供が健常者であったとしても、これからは知識として発達障害について学ぶ事は大きな意味があります。
なぜなら周りを取り巻く友達、知り合いの中にそういった障害を持った人が思いのほか多いものです。
発達障害を持った人は周りの理解と協力がとても大事です。
人とちょっと違うからと、イジメの対象としてしまったり、対応に困ったりせず、社会でうまく共存できるように 親として子供に教えてあげて欲しいと願います。
発達障害の子育てから学んだこと
今は発達障害に関して、社会でも知られてきて、情報もいろいろと入って来ています。
私の息子はただいま24歳、子育てしていた時にさかのぼると、20年前になります。
その頃は、ほとんど知られていなかったため、他の子と違う事に戸惑いながら子育てしていました。
私が実際に置かれた状況の中で、学んだ事、経験した事、少しでも参考になれば良いなと思います。
学習障害の息子の育て方
幼少期は周りに合わせられない子供だった
息子は産まれて2ヵ月で保育園に入りました。
1月早生まれで、4月に産まれた子と比べると、幼児と赤ちゃんほどの差でした。
そんな息子だったので、ずっとかわいいかわいいで済んでいて、ちょっとやんちゃなところがあったり、1人行動を平気でしていても、まだ幼いからね~という感じで深く考えもしませんでした。
ちょっと困ったな?と思い始めたのは、体操の授業が始まる年中さんの時ぐらいからでした。
周りと同じ行動がどうしてもできず、嫌がって参加する事ができなかったのです。
運動会は毎年あって、小さいうちは親と一緒の競技だったので気づきませんでした。
年中さんの時にパラバルーンという大きな丸い布の端を、みんなで持って手を上げ下げして中に空気を入れ、気球のバルーンのようにふくらませたり、縮ませたりする競技がありました。
練習時の事は先生からあまり聞かされていなかったので、まったく知らずに運動会を迎え、いざ競技が始まると、みんなが列に並んでいるのに、息子だけ並ばないのです。
驚いた私は、なだめたり怒ったり、いろいろ声がけをしたのですが、言うことをまったく聞いてくれません。
私も列に一緒に並び、手をつなぎ、一緒にいてあげると言っても
「やだやだ!」
騒いで逃げようとするのです。
後ろに並んでいたおませな女の子に
すごいめいわく~!」
そう言われ、私はひたすら謝るばかりでした。
その後あまりに私がしつこく言ったせいか、息子は急に走り出し、近くの芝生に逃げて行きました。
あわてて後を追いかけ、競技が始まる前なので焦っていた事もあって、いくら言い聞かせても泣いて騒いで暴れる息子を厳しく怒ってしまいました。
ほとんどもみ合い状態です。
近くで見ていた先生が
「お母さん、いいですよ。
そんなに無理やりやらせなくても~」
そう止めに入るほどでした。
その時はさすがに、どうしてみんなと一緒にできないの?
しかも息子も身体を張って嫌がっていました。
その頑なさにまず驚きましたね。
その翌年は組体操で、その時も参加できませんでした。
このまま小学校に上がったら・・・?と思うと私の方が心配でした。
先の事など知りもしない息子は、自分の心配なんてするはずもありませんしね。
学習障害かもしれない・・・小学校低学年
小学校に入学し、息子は元気に通学するようになりました。
お姉ちゃんが一緒だという事もあり、もちろん何の不安も感じてません。
私は、息子がどのように学校に迷惑をかけるかわからないし、自分の目で少しでも学校での様子を知っておきたくて、PTAのクラス役員を引き受けました。
お姉ちゃんの時も、同じようにして学校に行く機会を増やしたり、先生とお話ししたり、周りのお友達にもママ友にも気軽に話しかけて仲良くなり、情報を入りやすくして、非常に役に立った事もありました。
やはり息子は、勉強にはほとんど関心はなく、授業中も遊びの延長として考えていたと思います。
授業が始まると、世話好きの女の子がいつも教科書から筆箱まで机に出してくれたり、面倒を見てくれたようです。
文字を覚えるのがこの時すでに困難だったのだと思います。
教科書もどの科目にどの教科書を出すのか、よくわかっていなかったようです。
3年生ぐらいの時に
「お母さん、図工の教科書ってどれ?」
と聞かれた時は、私も驚きました。
そんなある日、単身赴任していた夫から電話がありました。
「昨日、テレビのドキュメンタリーで、学習障害について取り上げていて、それを見ていたんだけど・・・。
〇〇は学習障害なんじゃないかな?
どうしてかと言うと、実は俺がそうだったんだよね?
授業中、席に座ってるのが苦痛で。でも先生と親が怖かったから我慢していたんだけど、もう身体が震えてきちゃって・・・。
それを我慢してたから、チックになっちゃったんだと思うんだ」
夫は、身体が意識に反して動いてしまうチック(トゥレット症候群)を患っていました。
「あまり我慢させたら、俺みたいになっちゃうから、あいつにあまり無理やり勉強させないでくれる?」
なるほど・・・と思いました。
それが学習障害を意識するきっかけになりました。
発達障害、学習障害と
難しいかもしれませんが、まず発達障害の定義、行きましょうか?
文部科学省では、いかの通りに定められています。
発達障害とは、発達障害者支援法には「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」と定義されています。
発達障害をわかりやすく図式に表すと、以下のようになります。
そして、いくつかの障害を合併している人もいるようで、かなり複雑な事がわかりますね。
発達障害
以上の3つに大きく分けられます。
その中で、上の図のように細かく分ける事ができます。
ひとまず、PDD、LD、ADHDの特徴を書き出してみます。
広汎性発達障害(PDD)
1990年代には、広汎性発達障害という大きなグループの中に、自閉症、アスペルガー症候群、特定不能の広汎性発達障害などが含まれるとされていました。
それが2013年には自閉症スペクトラムという大きなくくりにまとまったようです。
つまり、広汎性発達障害と自閉症スペクトラムは、現在では混在していて診断する医師によって違う呼び方をされたりしているようです。
大きな特徴として、3つあげられます。
- 対人関係の障害・・・友達づきあいが苦手、他人と興味を共有できない
- 言葉などのコミュニケーションの障害・・・言葉が覚えられない、会話が続かない
- こだわりや想像力の障害・・・感覚に過敏、鈍感な反応
学習障害(LD)
得意不得意なものの差に大きく偏りがあります。
やはり大きく3つに分けられます。
- 読字障害・・・読みの困難
- 書字表出障害・・・書きの困難
- 算数障害・・・算数、推論の困難
見た目では分かりにくいため、がんばればできる、努力が足りない、勉強不足と言われて片付けられてしまう場合が多いです。
注意欠陥・多動性障害(ADHD)
自分をコントロールする力が弱く、それが行動に現れてしまう障害です。
-
不注意・・・集中力が続かない、気が散りやすい、忘れっぽい
-
多動性・・・じっとしている事が苦手
-
衝動性・・・考える前に行動してしまう
まとめ
以上のように、発達障害は先天的なもので、努力して改善されるものではありません。
ですから、本人にとって理解者が周りにいないというのは大変辛いものがあります。
本人も知らなかったり、親御さんが認めなかったり、そうゆう人たちがまだまだたくさんいます。
でも、必要なのは理解とフォローなんです。
それによって、今後歩んで行く人生が大きく変わります。
身近にそんな家族がいた経験を生かして、これから情報を発信していく事で1人でも多くの人を救えたらいいなと思います。
また機会がありましたら、私の経験談を綴って行きたいと思いますので、どうぞお楽しみに。
趣味を仕事にしてWonderful Lifeを!Vol.1
女性は、付き合う男の人や、結婚などで大きく変わる事もあります。
私はもろにその風に乗って、人生設計が変わってしまいました。
それは私が、相手に尽くしてしまうという性格のためだと思います。
いくら先の事を考えても、変わってしまっては意味がありません。
それでも、趣味、志向は変わりません。
好きな事があったから、自分を見失わず、今があるんだと思います。
私の趣味
気が付いたらはまっていた、それが趣味
小さい頃から、手先が器用でした。
母がよく手作りの服やニットのセーターを作ってくれていて、身近でもありました。
小学生の頃から、編み物を気が付けばしていたり、手芸部に入っていたりしました。
今でも印象に残っているのは、フェルトで作った「3匹のこぶたとおおかみ」です。
出来上がった時はうれしくて、暇さえあれば眺めていましたね。
ポイントはここです!
出来上がったものを眺める!
自己満足に浸る事です。
キレイに作れた達成感、これを味わいたいがため、止められなくなるのです。
上手くできない時は、とことんやり直します。
人によっていろいろだと思いますが、私の場合は遅くてもいい。
納得いくまでキレイに作る研究をします。
良いか悪いかは別として、そこがプロになるか、趣味で終わる分かれ道になると思います。
そうなんです、私の場合は趣味で終わらせられなくなってしまうのです。
最初は編み物から始まった
中学、高校生時代は編み物にはまりました。
編み物をしていると、本の図を見ても、二次元が三次元になるわけですからどうしてもわからない編み方が出てきます。
そうなると私は、その1カ所をわかるまで、徹夜でも考えるほどしつこいです。
自分のセーターはもちろん、好きな男の子のプレゼントを作ったり。
楽しくて、仕方がなかったです。
途中で飽きてしまう時もあって、編みかけの作品なども出来てきます。
どうしてもやる気を無くして放置状態になる子がいまして、もったいないと思いつつ、次に突入してしまいます。
こんな事じゃいけないと、途中から毛糸を選ぶのに慎重になってきました。
そこで、私が考えたのは…
なるべくいい(質が良かったり、高価)毛糸を選ぶ事です。
それまでは安い毛糸だから買ったり、作るものを決めずに買ったりしていて、どうも糸が気に入らなかったり、飽きてしまったりしました。
いい毛糸だと、途中で止めたらもったいないので、意地でも編むようになりますし、大事に着ます。
それから毛糸が余ると、パッチワーク風にしようかな?とか、余った毛糸で、また楽しみができます。
その頃には、自分で適当に計算して本がなくても作れるようになっていました。
パッチワークの先生になる!第1段階
大兄弟で育った私は、自分の部屋を持った事がなく、結婚した時、初めて自分で部屋を飾れるという嬉しさを感じる事ができました。
そこでまず、自己流でピンク系の六角形のパターンを、ひたすらつなぎ合わせてセミダブル用のベッドカバーを作りました。
直径10cmの六角形が、1500枚くらいあったでしょうか?
チクチクチクチク…
仕事と家事の合い間に、手縫いです。
夫に
「なんか内職してるみたいで、貧乏ったらしいから、俺がいる時やらないでくれる?」
と言われて、ムッとしましたが、夫には逆らわなかったので、途中からいないうちにやるようになりました。
それからパッチワークが楽しくなり、資格を取って先生になりたい!そう思うようになりました。
夫に話すと
「お前が先生になんてなれるわけないじゃん?
それに、パッチワーク習いに来る人なんて、おばちゃんばっかだろう?
お前、そんな若いのにおばちゃんの相手なんてできるわけないだろう?」
鼻で笑われて、話になりませんでした。
そうゆう言われ方すると、逆に燃えますよね?
私は、意地でも取ってやる!という気になりました。
長女が産まれて赤ちゃんの間は、教室に一緒に連れて行きました。
カリキュラムに沿って課題作品を作り、教室で添削をしてもらう、そんな流れで進めて行き、基本のコースを終わらせました。
それから仕事への復帰、2人目の子の出産と続き、さすがに教室に通う事も難しくなり、一時パッチワークとは離れる事になりましたが、今度は子供の服を作る楽しみが出てきました。
モデルは子供!楽しい洋服作り
子供服、特に女の子のスカートは、長方形の生地とゴムがあれば輪にしてゴムを入れれば、あっという間にできてしまいます。
これから洋裁を始めたい方は、まずここから始める事をお勧めします。
テキトーでOK!ですので(笑)
充分かわいいスカートができます。
だって、かわいい我が子が着るんですよ!?
かわいいに決まってます!
…って事で
自分の作った服を着て遊んでいる子供を見たら、もうほんとに感激してしまいます。
しかも手作りは安価です。
生地が足りなければ、継ぎ足せばいいんです。
パッチワークは、ここから来ています。
そんな感じで、どんどんどんどんハマって行きます。
どんどんどんどん難しいものを作るようになります。
ブラウス、シャツ、男の子用…
そして、自分の服も…
そして上手になっていくのでした。
あ~楽しい!
まとめ
好きな事を語り始めると、キリがないですね。
好奇心旺盛な私は、とても1話では語れないほどの趣味があるので、今日はこの辺で終わらせます。
また次の機会まで、お楽しみに~!
子育てエピソード…男の子との難しい関係 思春期編
こうやって、回想しながらブログを書いていると、あとからあとからいろんな場面が蘇ってきます。
昔の写真を、ほじくり返しているみたいですね。
私は突然、子供たちが別居するようになったので、余計に思い出として鮮明に残っているのでしょうか…?
すごく懐かしくて、あの頃の子供たちには会いたいのですが、二度と過去には戻りたくない…それだけキツい生活でした。
息子の思春期
息子の将来の夢
学習障害を持った息子は、自分でもそれを自覚していたので、調理師になる夢を叶えようと、方向性が小学生の頃から決まっていました。
子供が、将来何をしたいか?
それが決まっている事は、親にとってホントにありがたい事です。
うちの場合は、2人ともピンポイントで決まっていたので、進路を迷わず、無駄なお金もかかりませんでした。
普通なら、塾や受験に多額な費用がかかるところが、我が家は、娘が3ヵ月くらい塾に行っただけですから(笑)
息子は、私立の調理師専修高等学校に行き、卒業と同時に調理師の資格を取りました。
それでも、友達で完全に調理師になりたくて、入学した子は少なかったようです。
他校の滑り止めで通学している子も多かったのです。
私のお勧め子育て作戦
中学生まで、明るくてとにかく目立ちたがり屋だった息子も、高校の友達によって少し変わって行きました。
ゲームやアニメの世界に目覚め、いわゆるオタク方向に進んでいたようですね。
今思うと、それが流行りの世代なんですね?
うちを開放的にして、私も警戒されないように接していたので、友達も良く遊びに来て泊まったり、行動も目に見えてわかりましたが、みんな真面目でした。
自分の高校生の頃と比べると、お酒も飲まないし、タバコも吸わないし、ホントに自分の子なんだろうか?と思うほどでしたね。
それにしてもこの
うちを開放する、目に見える子育て作戦
これは、我ながらあっぱれ!でした。
どの子もうちに来ると自然体なので、子供の性格も、力関係も丸見えでした。
いじめがあっても、すぐにわかりましたね。
娘も同じでしたが、2人ともアルバイトも高1から始め、サボる事なく、これまた真面目に続けていました。
2人共同じファミレスで、娘はフロア、息子はキッチンにいました。
子育ての正念場の時期がやってきた
息子が、ちょっと難しくなってきたのは、3年生になり、就活を始めた頃でした。
1月が誕生日月だったので、暗黙の了解で車の免許を取りに行かせようとしたのですが、先にお金を全額払いこんでしまったのにもかかわらず、教習所に行きたがりませんでした。
車で送り迎えしてもイヤイヤ、自分から次回の予約も取らずに、どんどん期限が迫ってきてしまって、私の方が焦ってしまい、この時ばかりは、かなりしつこくお説教しました。
最終的に全く行かなくなり、約¥30万不意にしました。
後でわかった事なのですが、この時息子は、就活のストレスでちょっと鬱っぽかったそうです。
学校で就職先は紹介されるのですが、調理師の世界は厳しいので、10人に1人しか残らないなど、かなり脅かされていたようです。
実際、そうなのですが…。
それで、自分はちゃんとやって行けるか?真剣に悩んでいて、車の免許どころじゃなかったそうです。
私や夫の世代からすると、車の免許は持っていて当たり前、しかも夫が車やバイクのディーラーのオーナーで、息子が免許を取ったら、一緒にツーリングをするのを夢見ていて、その感覚でいたのです。
それも親のエゴだと、後になってわかりました。
息子は、入学試験を受けた時に、この試験結果では卒業が難しいかもしれません、と先生に言われていたほどでした。
普通科とは違い、専門用語のオンパレード、ある意味勉強は大変でした。
黒板の字を授業時間内に写す事ができないので、毎回友達からノートを借り、書き写し、テストは教科書持ち込みOKであったものの、複雑な漢字を覚える事が難しいため、かなり努力を強いられたと思います。
先生も実によく面倒を見て下さりました。
そして、ちゃんとやり抜いて、調理師になっただけでも偉い!
親としては、そう思っていました。
でも、息子はしっかりその先を見ていたんですね。
就職が決まって、いよいよ社会人デビューした息子。
キッチンでバイトもしていたし、人から好かれるタイプであったので、実は私はあまり心配していませんでした。
調理師の世界は、やはり思った通り厳しかったようで、最初の2年ぐらいは怒られまくっていたようです。
何度も辞めたいと思っていたようですが、実は「辞める」と、怖くて言えなかったみたいです。
今ではもう4年以上経ち、六本木のお店の副料理長になっているそうです。
男の子とお母さんの難しい関係
約20年単身赴任で、帰って来ない夫を待っていた私は、淋しさと不安により鬱病がさらに酷くなってしまいました。
夫がどのような生活をしているか、全く詮索はしませんでしたが、心が離れた時は直感でわかるものです。
ずっと自信があった私ですが、ある時ふと心が離れた事に気が付きました。
その時は、過呼吸になるほどおかしくなりました。
そんな私を見て、実の弟が
「お姉さん、とても見ていられないよ。
もっと自由に生きなよ!
まだ若いんだから、浮気でもしちゃえば?」
そう言ってきたほどでした。
それまで思いもよらなかった事ですが、私の中のたかが外れてしまったのでしょう。
文字通り、相手ができました。
女友達はたくさんいましたが、なぜでしょう?
淋しさを埋めようとする時、なぜか異性を求めてしまいますね。
こうゆう時は、娘の方がやはり気持ちがわかるようで
「ママは、自由に生きていいんだよ」
弟と同じ事を言いました。
ただ息子は、すごく嫌だったようです。
当たり前の事ですが、その時の私は、自殺未遂を2回もしてしまうほど異常だったので、子供の事も考えられませんでした。
「子供がいるんだから」
言われている意味もわかりませんでした。
人はどうして生きなきゃいけないのか?とか、子供ために私は生きてきたのか?
どんどんマイナスの考え方になっていくのです。
息子には大きなショックを与えてしまい、その後ずっと引きずる事になりました。
結局、浮気によって淋しさは埋められませんでしたが、新しい方向性は見い出せました。
違う生き方もできる!という事ですね。
ここから今に至るまで、また幾つもの波乱が起きるわけですが、それはまた別の機会という事にします。
しばらく息子とは、あまり連絡も取らずに、娘を通して近況を聞くぐらいでしたが、半年ぐらい前にやっと、その件について話す事ができ、
「今は全然気にしてないから、お母さんはお母さんで、元気で生きてくれ、一応親だから…」
そう言われました。
もう、どっちが子供だかわかりませんね。
まとめ
こうやって、いつしか子育ては逆転して、子供に説教されたり、お手本にされたりしてゆきます。
反面教師ってヤツですね。
ですから、決して子育てって優等生じゃなくっていいと思うんです。
完璧に生きてきた親が基だったら、子供はものすご~いプレッシャーを抱えて生きなくてはいけませんものね?
子育てエピソード…子供から友達へ 思春期編
思えば2人の子供たちが、小学生ぐらいの頃から思っていました。
ああ、もうこれ以上大きくならないで!
私から離れないで!
思えば思うほど、早く成長してしまうものです。
大人になった子供たち
その日は突然やって来る
夫と離婚をせざるを得なくなった時、私の精神状態が不安定だったため、2人の子供はそれぞれ1人暮らしを始めました。
私は、兄の家に母が2世帯住宅で住んでいて、部屋が1つ余っていたので、半ば強制的に引き取られました。
2人とも、もう働いていたのですが、私としてはまだまだ一緒にいられるものだと思っていてました。
今となってはどうゆう流れだったのかわからないのですが、気が付いたら夫が子供たちの部屋も決めていて、別に住むようになっていました。
私は、自分自身の事も決められないほど、パニック状態だったので、子供たちに悪影響だと思われたかもしれません。
当時は子供たちに、同情して欲しいとか、私の辛さをわかって欲しいとか、かばって欲しい、お母さんと離れたくない…そう言ってもらいたかったけど、何も言わずに離れて行きましたね。
私自身が、子供たちに甘えていました。
今まで、ちゃんと面倒見てたから、私に付いて来てくれるはず…そんな期待もありました。
離婚の問題は私たち夫婦の問題であって、子供たちは、私が抱えている辛さをそばで見ていましたが、私が壊れて行く事で、もっと辛い思いをしていたという事実を私は全く考えてあげられませんでした。
そして、子供たちにとっては、私も夫も同じ親、優劣を付けられるはずもないのです。
精神状態が普通じゃなかったとはいえ、しばらくの間、自分の子供に対しても、不信感を持っていた自分に、今では反省しています。
私と夫が約20年かけて、築き上げた家庭も崩れ落ちる時は、いとも簡単に崩れるんだな~…元は他人と言うには、余りにも儚い愛の結末でしたね。
娘の反抗期
私がべったりくっついていた頃、2人は反抗期というものが全くなくて、いつ来るんだろう?と、不思議に思うほど素直でした。
娘の反抗期は、彼氏ができて、すべて彼の言ってる事が正しいと思ってしまい、私の言う事を一切聞かなくなってしまった時でした。
彼は、両親共に正社員で定年まで働き、絵に描いたような真面目な子だったので、自由気ままに育ててきた私の育て方が受け入れられず、娘に堅実さを求めてきました。
とにかく正社員を強調していました。
私も、ずっと社会に出て働いていましたので、今の時代に正社員にいきなりなる事が、どれだけ大変か?
正社員ならどの会社でもいいのか?
いろいろ言い分はありました。
転職をした事のない、彼の両親の時代錯誤な考えと思っていましたが、これも1つの勉強と、娘を泳がせるしかなかったですね。
しかも、バレエ学校卒の娘は、バレエをあきらめた今となっては、就職の斡旋など全くありませんでした。
就活の仕方も知らなかった娘は、相当苦労して、仕事探しをしていました。
愛の力がすごいのか、たまたまなのか、ちゃんと職を見つけてきたのには驚きました。
その彼とは、今はお付き合いしていませんが…
子供から友達へ
そんな娘は今、別の彼と一緒に花嫁修業中です。
その彼は社交性があり、私にも初めて会った時から好意的でした。
彼はお母さんに、ほとんど手料理をしてもらった事がないらしく、スーパーのお惣菜を主食に育ってきたと言っても過言ではないというほどでした。
いつだったか娘は彼と別荘に行って、もともと味付けしてある魚を焼いてあげただけで、感動されたと言ってました。
私は、子育てをしていた頃、忙しいながらも手料理を作るのが当たり前という考えを持っていたので、疲れてたり、気持ちが病んでいて作れなかったりすると、自分を責めてしまっていました。
夫は単身赴任で、好き嫌いが多い、子供たちは少食。
一生懸命作っても、いつも大量に残ってしまう、そして、作れなかった時に限って、作って欲しかったと言われる…途中から全く料理ができなくなった期間もありました。
料理に関して、ほとんどノイローゼ気味になっていました。
そんな私に対して、今は時々娘が
「お母さんの料理は、ホントに美味しかった。
私達、少食でよく残してばかりいたけど、ホントに美味しいって思ってたよ!」
そう言ってくれます。
それから
「昨日は、お母さん直伝のハンバーグを、彼に作ってあげたよ!」
「お母さんがよく、ナスのショウガ炒め作ってくれて、それが美味しくって、食べ過ぎたら、嫌いになっちゃって。
でも、今日彼に作ってあげようと思うんだけど、どうやって作ればいいの?」
「そらまめって、皮はどこまで剥いて茹でるの?」
など、ラインして来るようになりました。
これは、ホントに嬉しいです。
そんな風に思ってくれたとは、思わなかったので!
美味しい料理は何が違う?
私は今、娘と同じように、料理を作ってあげられる彼がいます。
ふとしたきっかけで、お付き合いするようになり、一緒に住んでいます。
最初の頃、私が料理を作ると、
「なんでこんなに美味しく作れるの!?
しかも、レパートリーがすごい!
何でも作れるんだね?」
そう驚かれました。
私にしてみれば、離婚してから料理をほとんどしていなくて、実の母が私に作ってくれていましたし、まさかここへ来て、また主婦業を再開するとは思わなかったので、褒められた事にも驚きましたが、料理を楽しく作っている自分にも驚きました。
そっか…私、料理上手かったんだっけ?
そんな感じです。
料理は、センスと愛情!
これに尽きます。
料理って、簡単なようで、同じレシピを使っても、上手い下手が出ます。
何十年、主婦をやっても、美味しく作れない人は作れないんです。
誰とは言えませんが(笑)
娘にも、面と向かって料理を教えた事はないのですが、やっぱり美味しく作るんですよ。
あとはやっぱり愛情!
私の料理には、特別な「愛情」という調味料を入れてます!
ちなみに…どこにも売ってませんよ!
今日のまとめ
そんな調子で今、私と娘はある意味同じ境遇で、花嫁修業を楽しんでいる友達同志のようになっています。
すごく不思議な感覚でもあり、私達親子は、昔から何でも話せる関係だったため、違和感もなく、自然な流れで今に辿り着いたという気がします。
親だからと言って、格好つけない、等身大の自分をさらけ出してきた事が良かったのではないか?
逆に言うと、カッコつけるほど、カッコよくも無かったと言った方が正しいかもしれませんが…(笑)
子育てエピソード 番外編
子育てしてるうちが1番良かったわ~
よく経験者は言いますね。
その経験者に私もなってしまいましたが、渦中にいる時は、毎日が戦い。
何が何だかわからない間に過ぎ去って行った、台風のようでしたね。
その中で時に、ほっこりするような出来事があったりするのですよ。
それを今回は思い出して、書き留めておきましょうか…
バラエティー番組よりおもしろい、我が家の日常生活
お口ぽか~ん…
もう20年以上前の事ですから、ビデオもVHSの時代。
3歳と1歳半の子供たち。
仲良く大好きなビデオを観ようと、デッキをON!
すると…
「あ…あ~ん…あ~ん♡」
「え?(゚Д゚;)!!!」
子供たち、お口ぽか~ん …
慌てて…消す…けす…ケス…と…Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)
ちょっと誰よ~!こんなの入れっぱなしにしておくの!!!
アヤツしかいない!
電話で
「ちょっとパパ~!エロビデオ入れたままにしておくから、子供が観て、びっくりしてたよ~!」
「あ~悪い悪い…ははは」
全然、反省しとらん!
こら~止まれ!
息子が2.3歳ぐらいの事でした。
フリーマーケットに参加をしました。
東京サマーランドの隣りの、セサミプレイスの駐車場で行われたので、大変大がかりで、人も大勢でした。
私達家族は、販売する方だったので、シートを敷いてお店番をしていれば良かったのですが、ちょっと出歩いて行った息子が、全然帰って来ませんでした。
さすがに迷子になったのか?と、探し始めました。
いない…
案内所で放送してもらいました。
「2歳ぐらいの、〇〇色のTシャツに半ズボンの〇〇ちゃんが、迷子になっております…」
い、いない…(汗)
会場ぐるぐる回る
いない
ぐるぐる走る…
あ!いたっ!
「〇〇~!!!」
大きな声で呼び、走り寄ろうとしたその瞬間!
逃げる…!
(;゚Д゚)!!!
「お、お、おい!ちょっと待って~!」
息子、笑って逃げる…!
待て~!鬼ごっこじゃな~い!!!
せっかく見つけたのにい~!
はあはあ…
この子は、若くないと育てられません(>_<)
スカートはイヤ
息子が小1の時、良かれと思い、ボーイスカウトに入隊させました。
日曜日に、私も同行して、いろいろな経験をさせてもらいました。
ところが、途中から面倒になったのか、もともと団体行動が苦手だからか、嫌がるようになりました。
そのうち、何度誘っても、拒まれるようになったので、息子に聞いてみました。
「ボーイスカウト嫌なの?」
「男だから、スカートはいやだ!」
「へ?」
これは~今でも悩みどころなんですが、とっさに浮かんだジョークなのか、本心なのか?図り知れずにいまだに謎の迷言です。
バブちゃんごっこ
2人はすごーく仲良しで、本当によくじゃれていました。
中でも、息子がよく
「おねえちゃ~ん、バブちゃんごっこしよ~?」
「いいよ~!」
「バブ~…バブゥ~…」
いわゆる赤ちゃんごっこです。
それが、しばらくすると、エスカレートしてきて
「おねえちゃん?エッチごっこしよ~?」
?;゚Д゚)!!!
「あ~ん あ~ん♡」
おい!親の前で平気でやるな!かくせ~!
あ、ちがうな?なんだ?
どーしたらいいんだ?
ま、いいや、ほっとこう…
声出してるだけだしな。
耳、持たないでください!
子供たちが、保育園年長か、小学生低学年ぐらいですかね?
ミニ牧場に行きました。
モルモットやウサギたちを、触って遊べる、ふれあい広場がありました。
動物好きな我が子たちは、目を輝かせて小動物と遊んでいました。
私と夫は、柵の外で微笑ましく見守っていました。
ぐる~っと辺りを見回すと、ある看板が目に留まりました。
「ウサギの耳を持って、ぶらさげないでください!」
やだ、そんな事する人、いないでしょ~(笑)
目をふと逸らせると、
あ…いた…うちの息子だ…
Σ(・ω・ノ)ノ!
しかも、すごい得意げ!
人見知りしないのはいいけれど
ある日、近所のスーパーに、車で買い物に行きました。
駐車場に車を止めると、ちょうど真ん前はスーパーの裏口でした。
従業員らしきおばさんが、ゴミ出しに出て来ました。
すると息子が大声で
「お仕事、ごくろうさまで~す!」
Σ(・ω・ノ)ノ!
「あ、あは あはは ど~も(笑)」
恥ずかしい…
何か悪い事しましたか~?
息子が、小1の時だったでしょうか?
保育園時代の担任の先生が、手品の発表会に出るので、観に来てね!という事で、友達の家族と一緒に、市民ホールに行きました。
先生は、手品のサークルに所属していて、それがなかなか大きな団体でした。
お客様も大ホールの半分は埋まるほど入っていて、大変賑わっていました。
出し物が手品という事もあり、私達のように家族やお友達で来られていた方々もいました。
色鮮やかなパラソルがクルクル回っている時、息子が感動したのでしょう?
「ブラボー!」
そう叫びました。
すると、後方から見知らぬおばさまが、タ~ッと走って来て
「この子のお母さん、誰ですか!?
迷惑です!出てってください!」
血相を変えて怒っているのです。
(゚д゚)!!!
え?だって、手品だよね?
だめなの?NG?
私も友達と顔を見合わせて…?
「ごめんなさい!」
とっさに謝って、息子を連れて、とりあえずロビーに出ようとすると、係員さんが
「いいですよ、出なくても。別に悪くないですから!」
でも、おばちゃん、またしても
「迷惑です!出てってください!」
バッサリ!
「とりあえず、私達出るから、お姉ちゃんの事よろしくね?」
友達にそう言って、手品が終わるまで、私達はロビーで待っていました。
もちろん、息子には、怒りようがないですよね?
そこまで反対?
息子が小5ぐらいだったと思います。
私が、そろそろ美容院に行きたいと思い、息子に言いました。
「お母さん、ちょっとパーマかけて来ようかな?」
「えっ!絶対ダメ!」
「なんで~?たまにはいいじゃない?」
「だめ~!やめろ~!」
「だって、しばらくかけてないから、たまにはかけてみたいな?」
「だめっ!」
「とにかく行ってくる」
「ボクも行く」
「え?」
車で美容院に向かいました。
「今日は、どうします~?」
「たまにはパーマをかけようかと?」
「やめろ~!」待合席から、息子叫ぶ
「息子さん、何か言ってますよ?」
「いいんです。かけたら納得してくれるかもしれないし」
「やめろ~!うざい!」
美容師さん( ´艸`)
そして、パーマをかけ始めました。
その間、ずっと息子が大声で
「やめろ!
今すぐ取れ!
うざい!」
連発…
無事に終わって、私満足。
「ほら、たまにはいいでしょう?」
「やだ!うざい!今すぐ取れ~!」
「へ?…」そこまで?
せっかくかけたんだから、今回は息子に折れてもらおうと、帰宅。
そして、私の髪型を見た娘が、超冷静に
「おかあさん?おかあさんは、すごくかわいいよ。
でもね、パーマは似合わない顔なんだよ。
もし、私がパーマかけるとするでしょ?
そしたら、似合うと思う?
おかあさんは、まっすぐな方がかわいいんだよ?」
「はあ…」
そして、極めつけに夫が
「ねえ?おまえたちさ~、このママのキャンディキャンディみたいな頭、どう思う~?」
2人して
「似合わな~い!」
Σ(・ω・ノ)ノ!
かくして、翌日私はパーマを取りに、再び美容院に向かったのでした。
あれから1度も、パーマをかけないのは言うまでもありません。
お友達がまたおもしろいネタを持っている
虫はみんなの人気者
娘が年長さんだった頃だと思います。
ある日、保育園にお迎えに行くと、ある先生が笑いながら私に近づいてきました。
「おかあさん、聞いてくれる?
今日、お砂場に、うじ虫がいたのよ」
「え~!」
「そしたら、みんなで取り合いになってね?
虫は、人気者だから…」
「はい」
「私が、うじ虫は、ハエの子どもなのよ、だから汚いのよって言ったらね?」
「はい」
「Sちゃん(女の子)が、何言ってんの~?
うちなんて、ハエ飼ってるんだから~!!!って言うのよ~( ´艸`)」
「うわっ!言いそう~!(笑)」
ちなみに、Sちゃんは娘の親友です。
まとめ
きっと忘れているだけで、まだまだ出て来ます、こんなエピソード。
たかが子供、されど子供。
夫婦だけなら単純な2本の木の棒が、子供によって太くなったり曲がったり、絡み合ったりしていつか、味のある幹を作ってくれたんですね。
男の子は特に、何を考えてるかわからなくて、宇宙人みたいでしたね。
もう終わってしまった子育てですが、もっとたくさんのエピソード、作りたかったです。
今、子育て中の皆さん、おいしいところ、決して見逃さないでくださいね!