子育てエピソード…男の子との難しい関係 思春期編
こうやって、回想しながらブログを書いていると、あとからあとからいろんな場面が蘇ってきます。
昔の写真を、ほじくり返しているみたいですね。
私は突然、子供たちが別居するようになったので、余計に思い出として鮮明に残っているのでしょうか…?
すごく懐かしくて、あの頃の子供たちには会いたいのですが、二度と過去には戻りたくない…それだけキツい生活でした。
息子の思春期
息子の将来の夢
学習障害を持った息子は、自分でもそれを自覚していたので、調理師になる夢を叶えようと、方向性が小学生の頃から決まっていました。
子供が、将来何をしたいか?
それが決まっている事は、親にとってホントにありがたい事です。
うちの場合は、2人ともピンポイントで決まっていたので、進路を迷わず、無駄なお金もかかりませんでした。
普通なら、塾や受験に多額な費用がかかるところが、我が家は、娘が3ヵ月くらい塾に行っただけですから(笑)
息子は、私立の調理師専修高等学校に行き、卒業と同時に調理師の資格を取りました。
それでも、友達で完全に調理師になりたくて、入学した子は少なかったようです。
他校の滑り止めで通学している子も多かったのです。
私のお勧め子育て作戦
中学生まで、明るくてとにかく目立ちたがり屋だった息子も、高校の友達によって少し変わって行きました。
ゲームやアニメの世界に目覚め、いわゆるオタク方向に進んでいたようですね。
今思うと、それが流行りの世代なんですね?
うちを開放的にして、私も警戒されないように接していたので、友達も良く遊びに来て泊まったり、行動も目に見えてわかりましたが、みんな真面目でした。
自分の高校生の頃と比べると、お酒も飲まないし、タバコも吸わないし、ホントに自分の子なんだろうか?と思うほどでしたね。
それにしてもこの
うちを開放する、目に見える子育て作戦
これは、我ながらあっぱれ!でした。
どの子もうちに来ると自然体なので、子供の性格も、力関係も丸見えでした。
いじめがあっても、すぐにわかりましたね。
娘も同じでしたが、2人ともアルバイトも高1から始め、サボる事なく、これまた真面目に続けていました。
2人共同じファミレスで、娘はフロア、息子はキッチンにいました。
子育ての正念場の時期がやってきた
息子が、ちょっと難しくなってきたのは、3年生になり、就活を始めた頃でした。
1月が誕生日月だったので、暗黙の了解で車の免許を取りに行かせようとしたのですが、先にお金を全額払いこんでしまったのにもかかわらず、教習所に行きたがりませんでした。
車で送り迎えしてもイヤイヤ、自分から次回の予約も取らずに、どんどん期限が迫ってきてしまって、私の方が焦ってしまい、この時ばかりは、かなりしつこくお説教しました。
最終的に全く行かなくなり、約¥30万不意にしました。
後でわかった事なのですが、この時息子は、就活のストレスでちょっと鬱っぽかったそうです。
学校で就職先は紹介されるのですが、調理師の世界は厳しいので、10人に1人しか残らないなど、かなり脅かされていたようです。
実際、そうなのですが…。
それで、自分はちゃんとやって行けるか?真剣に悩んでいて、車の免許どころじゃなかったそうです。
私や夫の世代からすると、車の免許は持っていて当たり前、しかも夫が車やバイクのディーラーのオーナーで、息子が免許を取ったら、一緒にツーリングをするのを夢見ていて、その感覚でいたのです。
それも親のエゴだと、後になってわかりました。
息子は、入学試験を受けた時に、この試験結果では卒業が難しいかもしれません、と先生に言われていたほどでした。
普通科とは違い、専門用語のオンパレード、ある意味勉強は大変でした。
黒板の字を授業時間内に写す事ができないので、毎回友達からノートを借り、書き写し、テストは教科書持ち込みOKであったものの、複雑な漢字を覚える事が難しいため、かなり努力を強いられたと思います。
先生も実によく面倒を見て下さりました。
そして、ちゃんとやり抜いて、調理師になっただけでも偉い!
親としては、そう思っていました。
でも、息子はしっかりその先を見ていたんですね。
就職が決まって、いよいよ社会人デビューした息子。
キッチンでバイトもしていたし、人から好かれるタイプであったので、実は私はあまり心配していませんでした。
調理師の世界は、やはり思った通り厳しかったようで、最初の2年ぐらいは怒られまくっていたようです。
何度も辞めたいと思っていたようですが、実は「辞める」と、怖くて言えなかったみたいです。
今ではもう4年以上経ち、六本木のお店の副料理長になっているそうです。
男の子とお母さんの難しい関係
約20年単身赴任で、帰って来ない夫を待っていた私は、淋しさと不安により鬱病がさらに酷くなってしまいました。
夫がどのような生活をしているか、全く詮索はしませんでしたが、心が離れた時は直感でわかるものです。
ずっと自信があった私ですが、ある時ふと心が離れた事に気が付きました。
その時は、過呼吸になるほどおかしくなりました。
そんな私を見て、実の弟が
「お姉さん、とても見ていられないよ。
もっと自由に生きなよ!
まだ若いんだから、浮気でもしちゃえば?」
そう言ってきたほどでした。
それまで思いもよらなかった事ですが、私の中のたかが外れてしまったのでしょう。
文字通り、相手ができました。
女友達はたくさんいましたが、なぜでしょう?
淋しさを埋めようとする時、なぜか異性を求めてしまいますね。
こうゆう時は、娘の方がやはり気持ちがわかるようで
「ママは、自由に生きていいんだよ」
弟と同じ事を言いました。
ただ息子は、すごく嫌だったようです。
当たり前の事ですが、その時の私は、自殺未遂を2回もしてしまうほど異常だったので、子供の事も考えられませんでした。
「子供がいるんだから」
言われている意味もわかりませんでした。
人はどうして生きなきゃいけないのか?とか、子供ために私は生きてきたのか?
どんどんマイナスの考え方になっていくのです。
息子には大きなショックを与えてしまい、その後ずっと引きずる事になりました。
結局、浮気によって淋しさは埋められませんでしたが、新しい方向性は見い出せました。
違う生き方もできる!という事ですね。
ここから今に至るまで、また幾つもの波乱が起きるわけですが、それはまた別の機会という事にします。
しばらく息子とは、あまり連絡も取らずに、娘を通して近況を聞くぐらいでしたが、半年ぐらい前にやっと、その件について話す事ができ、
「今は全然気にしてないから、お母さんはお母さんで、元気で生きてくれ、一応親だから…」
そう言われました。
もう、どっちが子供だかわかりませんね。
まとめ
こうやって、いつしか子育ては逆転して、子供に説教されたり、お手本にされたりしてゆきます。
反面教師ってヤツですね。
ですから、決して子育てって優等生じゃなくっていいと思うんです。
完璧に生きてきた親が基だったら、子供はものすご~いプレッシャーを抱えて生きなくてはいけませんものね?