50代子育て人生を振り返りながら趣味に生きる

子供のこと、趣味のこと、人生楽しんでいます。

子育てエピソード…男の子との難しい関係 思春期編

こうやって、回想しながらブログを書いていると、あとからあとからいろんな場面が蘇ってきます。

 

昔の写真を、ほじくり返しているみたいですね。

 

私は突然、子供たちが別居するようになったので、余計に思い出として鮮明に残っているのでしょうか…?

 

すごく懐かしくて、あの頃の子供たちには会いたいのですが、二度と過去には戻りたくない…それだけキツい生活でした。

 

 息子の思春期

息子の将来の夢

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学習障害を持った息子は、自分でもそれを自覚していたので、調理師になる夢を叶えようと、方向性が小学生の頃から決まっていました。

 

子供が、将来何をしたいか?

 

それが決まっている事は、親にとってホントにありがたい事です。

 

うちの場合は、2人ともピンポイントで決まっていたので、進路を迷わず、無駄なお金もかかりませんでした。

 

普通なら、塾や受験に多額な費用がかかるところが、我が家は、娘が3ヵ月くらい塾に行っただけですから(笑)

 

息子は、私立の調理師専修高等学校に行き、卒業と同時に調理師の資格を取りました。

 

それでも、友達で完全に調理師になりたくて、入学した子は少なかったようです。

 

他校の滑り止めで通学している子も多かったのです。

 

私のお勧め子育て作戦

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中学生まで、明るくてとにかく目立ちたがり屋だった息子も、高校の友達によって少し変わって行きました。

 

ゲームやアニメの世界に目覚め、いわゆるオタク方向に進んでいたようですね。

 

今思うと、それが流行りの世代なんですね?

 

うちを開放的にして、私も警戒されないように接していたので、友達も良く遊びに来て泊まったり、行動も目に見えてわかりましたが、みんな真面目でした。

 

自分の高校生の頃と比べると、お酒も飲まないし、タバコも吸わないし、ホントに自分の子なんだろうか?と思うほどでしたね。

 

それにしてもこの

 

うちを開放する、目に見える子育て作戦

 

これは、我ながらあっぱれ!でした。

 

どの子もうちに来ると自然体なので、子供の性格も、力関係も丸見えでした。

 

いじめがあっても、すぐにわかりましたね。

 

娘も同じでしたが、2人ともアルバイトも高1から始め、サボる事なく、これまた真面目に続けていました。

 

2人共同じファミレスで、娘はフロア、息子はキッチンにいました。

 

 子育ての正念場の時期がやってきた

息子が、ちょっと難しくなってきたのは、3年生になり、就活を始めた頃でした。

 

1月が誕生日月だったので、暗黙の了解で車の免許を取りに行かせようとしたのですが、先にお金を全額払いこんでしまったのにもかかわらず、教習所に行きたがりませんでした。

 

車で送り迎えしてもイヤイヤ、自分から次回の予約も取らずに、どんどん期限が迫ってきてしまって、私の方が焦ってしまい、この時ばかりは、かなりしつこくお説教しました。

 

最終的に全く行かなくなり、約¥30万不意にしました。

 

後でわかった事なのですが、この時息子は、就活のストレスでちょっと鬱っぽかったそうです。

 

学校で就職先は紹介されるのですが、調理師の世界は厳しいので、10人に1人しか残らないなど、かなり脅かされていたようです。

 

実際、そうなのですが…。

 

それで、自分はちゃんとやって行けるか?真剣に悩んでいて、車の免許どころじゃなかったそうです。

 

私や夫の世代からすると、車の免許は持っていて当たり前、しかも夫が車やバイクのディーラーのオーナーで、息子が免許を取ったら、一緒にツーリングをするのを夢見ていて、その感覚でいたのです。

 

それも親のエゴだと、後になってわかりました。

 

息子は、入学試験を受けた時に、この試験結果では卒業が難しいかもしれません、と先生に言われていたほどでした。

 

普通科とは違い、専門用語のオンパレード、ある意味勉強は大変でした。

 

黒板の字を授業時間内に写す事ができないので、毎回友達からノートを借り、書き写し、テストは教科書持ち込みOKであったものの、複雑な漢字を覚える事が難しいため、かなり努力を強いられたと思います。

 

先生も実によく面倒を見て下さりました。

 

そして、ちゃんとやり抜いて、調理師になっただけでも偉い!

 

親としては、そう思っていました。

 

でも、息子はしっかりその先を見ていたんですね。

 

就職が決まって、いよいよ社会人デビューした息子。

 

キッチンでバイトもしていたし、人から好かれるタイプであったので、実は私はあまり心配していませんでした。

 

調理師の世界は、やはり思った通り厳しかったようで、最初の2年ぐらいは怒られまくっていたようです。

 

何度も辞めたいと思っていたようですが、実は「辞める」と、怖くて言えなかったみたいです。

 

今ではもう4年以上経ち、六本木のお店の副料理長になっているそうです。

 

男の子とお母さんの難しい関係

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約20年単身赴任で、帰って来ない夫を待っていた私は、淋しさと不安により鬱病がさらに酷くなってしまいました。

 

夫がどのような生活をしているか、全く詮索はしませんでしたが、心が離れた時は直感でわかるものです。

 

ずっと自信があった私ですが、ある時ふと心が離れた事に気が付きました。

 

その時は、過呼吸になるほどおかしくなりました。

 

そんな私を見て、実の弟が

 

「お姉さん、とても見ていられないよ。

もっと自由に生きなよ!

まだ若いんだから、浮気でもしちゃえば?」

 

そう言ってきたほどでした。

 

それまで思いもよらなかった事ですが、私の中のたかが外れてしまったのでしょう。

 

文字通り、相手ができました。

 

女友達はたくさんいましたが、なぜでしょう?

 

淋しさを埋めようとする時、なぜか異性を求めてしまいますね。

 

こうゆう時は、娘の方がやはり気持ちがわかるようで

 

「ママは、自由に生きていいんだよ」

 

弟と同じ事を言いました。

 

ただ息子は、すごく嫌だったようです。

 

当たり前の事ですが、その時の私は、自殺未遂を2回もしてしまうほど異常だったので、子供の事も考えられませんでした。

 

「子供がいるんだから」

 

言われている意味もわかりませんでした。

 

人はどうして生きなきゃいけないのか?とか、子供ために私は生きてきたのか?

どんどんマイナスの考え方になっていくのです。

 

息子には大きなショックを与えてしまい、その後ずっと引きずる事になりました。

 

結局、浮気によって淋しさは埋められませんでしたが、新しい方向性は見い出せました。

 

違う生き方もできる!という事ですね。

 

ここから今に至るまで、また幾つもの波乱が起きるわけですが、それはまた別の機会という事にします。

 

しばらく息子とは、あまり連絡も取らずに、娘を通して近況を聞くぐらいでしたが、半年ぐらい前にやっと、その件について話す事ができ、

 

「今は全然気にしてないから、お母さんはお母さんで、元気で生きてくれ、一応親だから…」

 

そう言われました。

 

もう、どっちが子供だかわかりませんね。

 

まとめ

こうやって、いつしか子育ては逆転して、子供に説教されたり、お手本にされたりしてゆきます。

 

反面教師ってヤツですね。

 

ですから、決して子育てって優等生じゃなくっていいと思うんです。

 

完璧に生きてきた親が基だったら、子供はものすご~いプレッシャーを抱えて生きなくてはいけませんものね?