子供がバレエをやりたい!と言い出した
娘が保育園に通園してた時、お友達がバレエを習っていて発表会の写真を見せてもらった事がありました。
その時は全く他人事で話をしていて、発表会に¥20万かかったと聞き
「すごいね~!
とてもそんな習い事、させられないわ~!」
驚いた私は、そう答えたものです。
それがまさか同じ境遇、イヤ、うちはさらに上を目指す結果になろうとは、全く知る由もなかったです。
まさに娘の子供時代はバレエ人生そのものでした。
バレリーナになりたい!
娘がバレエに興味を持ったきっかけ
娘がバレエを始めたのは、小5の時でした。
普通バレエを始める子は3歳とかかなり小さい頃が多いのですが、その頃は全くバレエには縁のない生活をしていました。
娘を自分の子供のように可愛がっていた、夫のお義母さん・・・またの名を追っかけおばあちゃんと呼んでいましたが、その追っかけおばあちゃんはピアノが好きでした。
自分でもピアノを弾いていましたが、娘にピアニストになって欲しいと心から願い、電子ピアノは買ってもらえるわ、月謝も払ってくれるわで、3歳からずっとピアノを習っていました。
YAMAHA音楽教室のグループレッスンから始めて、途中から個人レッスンに変えて、先生とも気が合い、それなりに楽しい趣味としてピアノを弾いてましたし、発表会にも出ました。
その頃私は、パッチワークの指導員や洋服を製造している会社に勤めたりしていて、趣味で洋裁もやり、子供の服や自分の服を作っていました。
当時YAMAHAの受付にいた女性と仲が良くなり、話をするようになり、のちに彼女がバレエの先生だと知りました。
そしてある日、彼女が言いました。
「ねえママ?ママは洋服作るのが上手だから、バレエの衣裳作れないかしら?
もしできれば手伝ってもらいたいの」
「衣裳ですか~?
バレエの衣裳ってどうなってるかわからないので、見てみないとわからないけど、私は洋裁は自己流なので・・・」
「サンプルがあるから、今度持ってきていいかしら?」
「お手伝い程度なら、できればやってもいいですよ」
そんな流れで、まずは私の衣裳作りから始まったのです。
お手伝い程度と聞いてましたが、実際はバンバン作らされましたが(笑)
それから私はほとんど先生の専属の衣裳担当になりました。
レッスンスタジオに行き、衣裳を着る子供たちの採寸に頻繁に行くようになりました。
当時3年生だった娘も連れて行き、なんとなく見学するようになりました。
私も綺麗な衣装を身に着けている子供たちを見ていると、自分の娘にも着せてみたくなり、何回かバレエをやってみないか聞いて見ました。
目立つ事が嫌いな娘は
「人前で踊るなんて絶対嫌だ!」
最初は拒んでいました。
無理強いはしたくないので、そのまま私は衣裳作りのための採寸、フィッティングをするため何度もレッスンスタジオに顔を出しました。
そのうちバレエを習っている子供たちやお姉さんたちに、娘は声をかけてもらうようになり、仲良くなり始めました。
広いスタジオの隅にパーテーションがあって、2帖ほどのスペースがあり、その中で生徒さんたちは着替えをしていました。
着替えながら、ワイワイ、キャアキャア声がしてきます。
娘は中が見えないので、余計その中が気になり始めました。
5年生なったある日
「私も、あの中に入りたい!
みんなで一緒に着替えたい!」
そう言い出しました。
「え?そこ・・・?」
娘の目の付け所が意外すぎて驚きました。
すかさず、先生と生徒さんが
「〇〇ちゃん、一緒にやろうよ!」
「うん!」
なんとも変わった動機で娘はバレエを始めたのでした。
周りの子供たちともすでに顔見知りになっていたし、さんざんレッスンを見学していた娘はすんなり溶け込む事ができ、初回から楽しそうにレッスンを受けていました。
また先生もうまい!
褒める褒める→喜ぶ→モチベーションが上がる→もっと褒められたくなる→がんばる→褒められる・・・
そして娘はどんどんバレエが上達するのでした。
子供のバレエが上達するようになった秘訣
先生のレッスンの特徴は
- モチベーションを上げるのがうまい
- 生徒さんをプロに絶対する!という意気込み
- 少人数
- 地元のイベントにどんどん出演させる
- 冗談を交えたアットホームな楽しいレッスン
- 親の派閥を作らないワンマンタイプ
その時はわからなかったのですが、バレエ界の中で特に有名でもなく、かなり適当なところもあったようです。
でも娘はこの先生によって、遅咲きではあったにもかかわらずプロになりたい!と思うようになったのです。
このぐらいの年齢になると、親だけが子供を育てるのではなく、第三者の影響が強くなるんですね。
そうです、子供・・・いや人は出会った人によって人生がガラッと変わるんですね。
ですからかわいい子には旅をさせよという言葉がありますが、ある程度の年齢が来たら少しでもたくさん外に出し、いろんな人と接する事は大事ですね。
ただその頃は、子供の連れ去り事件とか宮崎勤事件も私の住んでいた場所の近くだったので、1人で通わせるのも怖いばかりか、ちょっと外で遊ばせるのも怖く、スタジオまで車で30分、毎日送り迎えをしていました。
宮崎勤事件
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件とは (トウキョウサイタマレンゾクヨウジョユウカイサツジンジケンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
どんどんバレエにのめり込んで行った娘は、小学生の始めた頃から、遊びの予定が入っていない時はバレエに、中学生になってからは、部活を入らずにほぼ毎日バレエのレッスンに行くようになりました。
小さい頃から習っていたピアノも、バレエを優先させたいという理由で辞めました。
先生によって自信も持てるようになった娘は、発表会にもコンクールにも積極的に出るようになりました。
舞台を1つ1つ重ねる度にどんどん上手くなっていくのです。
私は自分が作った衣裳を娘に着せる事ができ、舞台でキラキラした姿を観て感動して涙が出た事も何度もありました。
経済的には大変でしたが、衣裳を作る事で少しはカバーできましたし、キラキラ輝いてどんどん成長してゆく娘をずっと見守って行きたいと思いました。
バレエの大きな発表会に出演
6年生になると、大きな発表会・・・それも新国立劇場の小ホールで行う事が決まり、先生も子供たちも心はもうプロという意識でレッスンが始まりました。
その時は私も実は50着以上の衣裳の依頼を受け、断るに断れない状況になり大忙しになりました。
もう1人衣裳担当が入ると聞かされていたのに、一向に入って来ませんでした。
依頼を受けてわずか6ヵ月の間に作らなければならず、困った事に先生の頭の中でどんどん舞台の構想が膨らみ、衣裳の数が増えて行き、最終的には120着ほどを1人で作らなければならなくなりました。
「無理です!」
そう言っても、他に手伝いが入るから・・・と丸め込まれてしまい、先生は演出、レッスンの事で頭がいっぱいで衣裳の方は放置状態でした。
だいたいの先生は、衣裳の縫製に関しては無知な方が多く、先生も例外ではありませんでした。
当日になっても衣裳は終わらず、現場にミシンがあるし、お手伝いが入るから・・・という事で材料を持って、発表会が始まってもひたすら縫い続けました。
あてにしていたお手伝いは結局誰も現れず、先生に尋ねてもスルーされました。
さすがに慌てて、でもせっかくの舞台に衣裳のない子供がいたら大変なので、最終的には安全ピンと仮縫いで対応し、なんとか無事舞台を終わらせる事ができました。
でも・・・私はなんと!そのせいで娘の舞台が観られなかったのです(泣)
娘のバレエは後で、ビデオで観たのであまり舞台の感想は私からは語れません。
娘が満足できれば、そして舞台が成功に終わればそれで良し!という結果ですね。
バレエの先生との確執
心底疲れた私が、大舞台を終えて初めてスタジオに顔を出した時、先生が
「ママ、お疲れさまでした~!」
と言いました。
でもなぜか複雑な顔をして少し気になりました。
帰宅して娘が言いました。
「お母さん、今日先生がお母さんの悪口言ってたよ。
衣裳、ちゃんと終わらせなかったとかいろいろ・・・」
「え・・・?なにそれ?」
信じられませんでした。
すごいメチャぶりしてきた上に、お手伝いもいなくて1人で120着の衣裳を作ったのに。
しかもなんで、私に直接言わないで娘に言うの!?
その時点で彼女に対して信頼をすべて失い、人間性が見え許せなくなりました。
私はすぐに電話をかけ、言いたい事をすべてぶつけ
「もうあなたとは二度と仕事はしません!」
と言って電話を切りました。
いろいろ言い訳を言いかけていましたが、この時ばかりは聞く耳を持ちませんでした。
娘は、私がスタジオに行かなくなった後もしばらくレッスンに行ってましたが、先生のワガママにより辞めて行った先輩や友達もこの時から増えて、後を追うように行かなくなりました。
まとめ
子供の習い事は、親もやらせたいと思うものはいろいろあると思いますが、1番大事なのは本人がやりたいかどうかです。
これは将来この子にとって役に立つからとか、親が好きだから、そんな理由でさせるものではないと思いますし、長続きしないと思います。
ホントに好きなら親がほおっておいても通うし、スキルアップします。
バレエの世界でいうと、親の希望で小さい頃から習わせていた子は、だいたい途中で辞めています。
最後の方で私と先生の確執により、一時期バレエをやっていない時期が数ヶ月ありましたが、娘はすぐに別のバレエ教室を見つけてきました。
やりたい事が見つからない子には、少しでもいろんな体験をさせたり、外に連れ出し、知らない世界を見せる、本屋さんや図書館に行くのもいいと思います。
井の中の蛙大海を知らず!ですよ