子育てエピソード Vol.1 娘編
子育て=親育て…
私には、子供が2人います。
娘と、息子です。
本日は、娘の育児エピソードを、紹介します。
分身、あらわる!子育て始まる…
初めての妊娠
私の母は、6人子供を産んでいて、一番下の妹に関しては、自宅出産でした。
そんな母を見ていたので、私にとって妊娠、出産は、簡単なものだという認識がありました。
ところが、思いのほか、娘の出産に至るまでは、大変でした。
切迫流産の危機
まず妊娠したかどうかわからない第2週目に入った頃、お腹に異変を感じ、義母の勧めで、産婦人科に行った事により、妊娠、それも切迫流産が判明しました
少量の出血があったのですが、その出血が止まって、1週間は安静に、横になっているように指示されました。
自分の実家より、夫の実家の方が近かったため、私は義母にお世話になり、何とか流産を免れました。
辛くて、長い…つわりの日々
つわりは、一般的には、安定期に入るとなくなると言われていますが、私の場合は、軽いつわりが、出産までありました。
軽いと言っても、ず~っと気持ちが悪い状態が、約10ヵ月続くわけですから、さすがにキツいものがありました。
嗅覚が敏感になり、スーパーに入るとまず、生臭い臭いを感じ、仕事から帰宅した夫に会うと、タバコと車の臭いで、吐き気をもよおすのです。
ワサビやショウガのような薬味は、全く受け付けなくなりました。
実の母に話すと、同じように、産むまでずっと、つわりがあったと、聞かされました。
もしかして、つわりは遺伝するのか?そういう疑問が浮かんだ…いや、その時は、遺伝するんだと、信じ込んでいました。
今回は、いい機会なので、調べてみました。
http://www.pixy.cx/~kamosika/iden.html
つわりは一人一人違うので、はっきりとは決められません。過剰に不安にならずに、生活をそのときの体調に合わせて臨機応変に変えたり、旦那さんや知人、専門科の協力を速やかに求めたり、妊娠前はなるべく健康な生活を心掛けたりしましょう。
どうやら、遺伝の関連性はなかったようです。
とにかく、約10ヵ月のつわりは、キツすぎました。
不思議な出会い
出産は、予定日を数日過ぎて、何となく陣痛らしい、軽い規則的な痛みを感じ始めました。
そろそろ産まれるのかと思いきや、なかなか陣痛が強くならないのです。
大きな産婦人科だったので、入院の準備をして、10人ぐらいベッドに寝られるほどの、陣痛室があり、約2日、私はその部屋にいました。
周りの人が、入れ替わり立ち代わり、分娩室に移動して行くのを見て、1人取り残されてる気がして、分娩の恐怖より、とにかく早く産まれて!そう思うようになりました。
出産は、陣痛だけではなく、子宮口がある程度開かないと、産めないのです。
何回も、助産婦さんに、子宮口の開き具合を、子宮に手を突っ込まれて!確認されて、まだまだ!
その繰り返しでした。
約2日に及ぶ、陣痛の間、ベッドはありましたが、ずっと横になっていたわけではなく、子宮口が開くように、階段の上り下りなど、運動をしていたと記憶しています。
そんな私も、寸前になってくると、陣痛が強くなり、どこから出て来るのか不思議なくらい、強い力が、お腹の子供を出そうとするようになってきました。
そこからは、あっという間でした。
勢いで、娘が出てきたという感じでした。
私の分身と対面して、かわいい!とか、愛おしい!というより、とにかく不思議でした。
それよりも、身体が疲れきっていて、いつのまにか眠っていました。
追っかけおばあちゃん
私にとっては、初めての子供であるのは当然ですが、義母にとっても、初孫で、それはそれは喜んで、異常なほどの、可愛いがりようでした。
幸い私は、今時珍しいほど、お姑さんと仲が良く、同居はしていませんでしたが、子供ができる前から、毎週のように、夫の実家に行っていました。
娘が産まれてからは、まるで自分の娘の子育てをしているように、いろいろ世話を焼いてくれました。
ところがここで、時代の差と、子育てのポリシーの違いで、時々、言い争いが生じる事になりました。
例えば、少しでも泣かすと、脱腸になる…裸足でいると、靴下を履かせる…おむつを取り替える時、脚の挙げ方を見て、それじゃ、脱臼する…などと言った事でした。
6人兄弟で育った私なので、その過保護さには、半分呆れましたが、本当に良くしてくれて、今では感謝です。
今でも思い出して、笑ってしまうのは、洋服から何から、ブランド物を買って来て、子供が身に付けているものは、ほぼ義母が買ってくれた物で、ある日、MIKIHOUSEのママトートバッグを、買って持って来たのです。
「お義母さん、これ誰が持つの?」
そう尋ねると
「ERIちゃんに決まってるだろう!」
「???」
「やっぱり、ママはMIKIHOUSEのバッグだろう!?」
「!!!」
可愛いおばあちゃんだと、思いましたね~。
そんな感じの毎日だったので、娘は自然と、おばあちゃんっ子になり、
ばあちゃん、ばあちゃん…言ってまして、
相思相愛、おばあちゃんも幸せそうでした。
やがて、離れて行く日が訪れるとわかっていても、初孫に、それはそれは、尽くしていました。
とにかく、わが道を行く
若くして結婚した、私達夫婦に、経済的な余裕はなく、1歳9か月で、娘は保育園に預ける事になりました。
年齢的に、後追いする時期だったので、慣れるまでは泣かれて、母子共に辛かったですが、保育園に通う事になって、ある意味、私の荷も軽くなり、娘もいろいろと学ぶ事ができたと思います。
成長するにつれて、個性も出てきて、他の子との違いが、明らかになってきました。
もともと、個性を尊重する保育園だったのですが、娘は中でも、超マイペースだったのです。
みんなが、外遊びしていても、混ざろうとせず、1人で何かに夢中になっていた事も多かったようです。
先生から、こんなエピソードがありました。
「おかあさん、今日はね、こっちのお皿から、こっちのお皿に、お箸で小豆を1個1個、ずっと移してましたよ~!」
「はぁ~?」
1人で何かに集中していると、周りが全然見えなくなるらしく、しっかりしたお友達に、次は体操の時間だから、着替えなさ~い!と、お世話をされたりもしてたらしいです。
私も、集中すると、止まらないので、私に似たのかなあ?ぐらいで、あまり気にも留めてはいませんでしたが…。
子育てのポリシー
私の子供は、私が守る!
娘が、保育園を卒園する少し前、園長先生自ら、お話しされました。
「お母さん、〇〇〇ちゃんは、義務教育では少し苦労するかもしれません。
でも、集中力があったり、手先が器用であったり、良いところがたくさんあります。
〇〇〇ちゃんを信じて、大事に育ててあげてくださいね!」
その言葉は、今でも忘れません。
単身赴任で、子育てにほとんど関わっていなかった夫は、頼りにならないので、この子は、私が守る!そう決心しました。
更に上を行ってる娘のポリシー
学区の問題で、娘の入学した小学校は、まるで知っている顔がなく、入学式から少し心配していました。
ところが娘は、体育館で行われた入学式が終わって、退場する時すでに、隣りの女の子と手を繋いで、ニコニコしながら歩いていました。
自分の娘ながら、この子は何者なんだ?と、思いました。
確かに、初めて会ったら、元気にあいさつね!
そう、教えていたのは私です。
しかし…すごい…(笑)
こんな事もありました。
近所の家を建てている大工さんに会ったのですが、初めて見かけたというのに、いきなり
「いいうち、建ててますね~!」
「!!?」
穴があったら、入りたかったです。
入学してから、数日で、教科書を全部、学校に置いてくるわ…うわばきを忘れたのに気がついて、困っているだろうと、急いで持って行ったら、裸足でニコニコ遊んでいるわ…
ある日、あまりに勉強に興味がないようなので、ちょっと注意すると、
「ママ、私は勉強きらいなの!それなのに、なんで勉強しなきゃいけないの!?」
あまりにはっきり言われたので、驚いたのと、そもそも小1で、そんな風に考える子がいるなんて、目から鱗で、何も言い返せなかったのを覚えています。
逆にここまで言い返せる娘が頼もしく思い、勉強については、うるさく言わなかったですね。
私的子育て大作戦
勉強より大事な事、それは社会性です。
私が、1番気に留めたのは、娘と周りの子供たちの関係です。
私が見ていない間、娘はお友達とどうゆう付き合い方をするのか?どんな性格の子がいて、どうゆう立場、力関係、いじめの対象にならないか?それを把握して、問題があった場合、すぐに対処してあげられる環境を作りたいと思いました。
手っ取り早い方法として、PTA役員になりました。
ママ友を自分から誘って、自分の友達にし、我が家でバーベキューを企画したり、家を開放して、いつでも友達が遊びに来られるように、警戒心をなくし、子供の目線で話をしたりしました。
私は、パッチワークの指導員を自宅でしていたので、子供手芸教室を開催したりもしました。
子育ては、長い…
まだ、半分も紹介していないのに、こんなに長くなってしまいましたね。
まだまだまだ、書きたい事いっぱいです。
でも、止まらなくなりそうです。
なぜなら、私は、本当に!子供が命だったのです。
という事で、続編を作る事にしました。
お楽しみにしていてくださいね!