はてなブログ、デビュー!です。
ERIです。
念願の、初投稿です。
ブログは初めてではありませんが、この場でブログを始める事になった経緯を、少しずつご紹介します。
自己紹介
- 1965.9月生まれ、52歳、女性
- 生まれも育ちも、東京都
- 6人兄弟の、2番目、長女
- バツイチ、成人した娘、息子1人づつ
- ただいま、再婚準備中の相方あり
- パッチワーク指導員、オーダー衣裳製作など承る、自営業
- 趣味…手芸、読書、料理
- 血液型…O型
- 持病…躁うつⅡ型
極貧の幼少時代
貧乏人の子沢山という言葉が、ぴったり当てはまるような、家庭の中で育ちました。
父は、浮気、DV、ギャンブラーと、生活力のない、昭和のダメ親父でした。
母は、家計のため、育児をしながら、掛け持ちで仕事をしていた姿が、今でも目に焼き付いています。
一杯のかけそばと同じような状況も、珍しくありませんでした。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/Japanese/kakesobaj.html
長女の私は、そんな母の背中を見て、少しでも母に迷惑をかけないように、お利口さんを装い、でも内心は、注目して欲しいという気持ちも常に持っていました。
父は、職も安定していなくて、暇だったためか、子供好きなのか、勉強を見てくれたり、一緒に遊んでくれたので、私とは相性は良かったのですが、それは私が、無意識のうちに、父を怒らせないように、気を遣っていたのだと思います。
父は、すぐにキレるところがあったので、顔色を伺って、会話をする術を、この時に身につけていたのでしょう。
この時に培われた人格形成が、後に、良い影響だけでなく、裏目に出て、苦労する事になるとは、知る由もありませんでした。
いじけていた中高時代
当時は、そう思っていなかったのですが、今振り返ると、自分の家庭環境から、半分投げやりになっていたり、諦めてしまっていたり、そんな傾向が見られる行動があります。
もともと、長女で、リーダーシップを取る性格だったので、人に流されるより、流すタイプでした。
普段は、優等生キャラでしたが、嫌いな先生の授業は、後ろを向いて聞かなかったり、体育の授業が嫌なので、朝、通学する時に、一緒にいた友達を誘い、公園に行ってしまい、学校で大騒ぎになったり…。
人の真似をするのは嫌いだったので、ヤンキーの仲間に入ったりする事はなかったですし、非行に走るのは、まだ余裕があるから、かっこつけたいから…そうゆうクールな目で見ていました。
私自身は、親に頼らず、進学して、自立する必要を、すでに感じていたし、高校の学費も、自分のアルバイト代で払っていました。
成績は、普通に大学に行けるレベルでしたが、都立の生温い高校に入学してしまい、私立の進学校とは、勉強の進め方が違ったため、現役で一流大学に入れる生徒は少なく、私は、大学に入り、教師になりたかったのですが、親には、金銭的余裕がないので、一流と呼ばれる大学に入れないなら、進学は諦めるように言われました。
自分の夢が絶たれてしまい、先行きが見えなくなり、進路を自分で考えることもできなくなり、とりあえず、学費が安くて、将来性があるだろう?と、母に勧められた、トリマーの専門学校に入りました。
犬は、かわいいですが、仕事となると、気持ちは全く違い、やる気も出ず、給料も安い、トリマー時代でした。
唯一、良かった事と言えば、腐れ縁の親友ができたことでした。
バブルなフリーター
本当に楽しい!と思ったのは、18~20代前半に、ホテル直営のコーヒーラウンジで、アルバイトをしていた頃です。
自分で稼いで、自由にお金を使って、遊べるようになったわけです。
アルバイトも掛け持ちして、更に、バイト友達と、夏は海、冬はスキー、飲み会にディスコ…時代は、バブルの絶頂期、私的にも、絶頂期でした。
波乱万丈!男性遍歴
追われると逃げたい、追いたい派
学生時代までは、モテなかったです。片思いが多かったです。
初恋は、小学生後半で、周りから冷やかされて、お互い気があるのに茶化し合って、思いを告げられないまま、それぞれの道に旅立って行った…そんな切ない思い出でした。
それが実は、とても尾を引き、彼は今でも夢に現れます。
思いを伝えられずに、相手の気持ちも聞けないまま、中途半端に終わってしまったので、悔いが残ってしまったのです。
その後は、好きな人ができると、最後には必ず、自分から告白して、答えを出すようにしました。
現実は厳しく、振られてばかりでした。
そして、好みではない人から、声がかかりました。
手を繋いで、帰って行く友達を、羨ましく思いました。
なぜか訪れるモテ期
二十歳を過ぎると、なぜか、好みのタイプの人から、告白されるようになり、自分自身も、女子力を磨くようになりました。
意識の問題なのか、年齢的なものなのかわかりませんが、1年で8kg痩せて、ナイスバディーになりました。
今まで真剣に付き合った人の共通点があり、なぜか…イケメンで、元ヤンで、年下です。
幸せなはずの結婚生活
平凡な主婦希望
大恋愛の末、結婚した、イケメンで、元ヤンで、年下の元夫の、プロポーズの言葉は、
ERIと、空気のような関係になりたい!
私達が、結婚したのは、大変若く、私が24歳、夫が20歳の時でした。
お互い、若かったので、共働きをしながら、子宝にも恵まれ、幸せに生活していました。
単身赴任と躁うつと…
夫は、神経質で、人間関係が上手く行かず、転職を繰り返し、家庭は不安定な状態が続きました。
日によって、いや、極端に言うと、数時間で、機嫌が変わり、私は、常に顔色を見て、行動するようになりました。
食べ物の好き嫌いも多く、料理は決して下手ではないはずなのに、ほとんどの食事を食べてくれなくなりました。
やがて、自分に合った仕事が見つかり、得意分野を発揮し、車の営業を経て、ディーラーの社長になりました。
結婚当初、彼は私に、こんな話をした事があるのです。
俺は、社長になって、ERIを幸せにしてみせる!
その夢を叶えてくれたのです。
ところが、それとは引き換えに、彼は仕事に集中するために、単身赴任を選んだのです。
夢は、現実化しないとわからないもので、それによって私は、どんどん病んで行くようになったのです。
どんなにわがままで、気を遣っても、私は、いつも彼と一緒にいたかったのです。
社長夫人という立場も、ほとんど私には感じる事ができませんでした。
彼は、だんだん自宅から距離を置き、最後にはほとんど帰って来なくなってしまったのです。
単身赴任して、約20年!
夫が帰らない淋しさ、仕事でのストレス、家計の厳しさ、家事の忙しさ、一人での育児、もう限界でした。
結婚して、2年ぐらい経ったあたりで、身体に不調が起こり、心療内科に通い始めましたが、鬱病と診断され、離婚した後、だいぶ良くなった結果から、結婚生活に無理があった事がわかりました。
その時の事を振り返ると、辛さが蘇って来て、今でも涙が出るほどです。
好奇心から生き甲斐に
手芸バカ
私は、バカがつくほど、手芸が好きです。
好きを通り越して、仕事にしてしまいました。
パッチワーク、ビーズ、編物、刺繍、洋裁など…。
特に、細かい事が好きです。
細かければ、細かいほど、チャレンジしたくなります。
講師を生業としていますが、教える事も大好きです。
生徒さんの、楽しそうな笑顔を見たり、感謝の言葉をいただくと、私も人のお役に立てて、大変うれしいです。
私の講習会は、楽しいですよ~!
是非、1度ご参加ください!
なぜ、文章を書く?
私は、読書が好きです。
いろんなジャンルの本を、あえて読みます。
1人の作家にこだわると、文体も似かより、偏りが出てきます。
あらゆる作家の本を読む事により、文章の書き方の違いを楽しめたり、知識、視野が広がります。
読むのも好きですが、自分の人生体験を、おもしろおかしく語るのも好きです。
決して、楽な道のりではありませんでしたが、事実は小説より奇なり!
仲の良い友達に、私の近況を語ると、展開が早すぎる!と、驚き、この物語の続編は、いつ出るの?と、笑って聞かれます。
人間、どんなにつまらなく見える人でも、すべての人が、違うドラマを持っています。
私はよく、人に質問します。
中には、あなたはどうして、そんなに人の事を知りたがるの?
人の事なんて、どうでもいいじゃない?
そう言われる事もありました。
私にとっては、読書と同じ。
知らない事を知りたい。
だから聞く。
だから私も発信する…。
それが、私なんだと思います。
本日のまとめ
1度では語りきれない、私の生きざま。
目標は、エッセイスト!
このブログをきっかけに、少しずつ文章力を養って、さくらももこさんのように、親しみやすくて、おもしろい、エッセイを書けるようになりたいたい!!!
大変、欲張りな目標を、持っています。
よろしくお願いしま~す!