50代子育て人生を振り返りながら趣味に生きる

子供のこと、趣味のこと、人生楽しんでいます。

子育てエピソード Vol.2 息子編

 

子育てを終えて感じるのは、

子育て=愛 一言に尽きますね。

子育ての仕方は、人それぞれ違うと思うので、そこに愛があるか?愛は伝わっているか?なんだと思います。 

常に、子育ては現場で起こっている!

不安を抱いたまま、小学生へ

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 この場合、不安を抱いているのは、親だけで、本人は全くノープロブレムでした。

 

唯一の救いは、お姉ちゃんが先に入学していた事でした。

 

とりあえず、学校まではたどり着けます。

 

私はすでに、パートで働いていましたので、学校が終わると、2人は、500mぐらい離れた学童保育園に直行します。

 

当時は、連れ去り事件もありましたし、交通事故も心配でしたから、学童保育があるおかげで、かなり心強かったです。

 

息子は、集団行動が嫌いでしたから、学童保育を嫌がり、娘が4年生になり、行かなくなると、すぐに行かなくなりました。

 

学童保育では、ゲームを持ち込んではいけないというのも、不満の1つでした。

 

私も途中から、毎日勤務ではなく、自宅でのパッチワーク教室と、子供向けの手芸教室を始めていたので、ちょうどバランス的にも良かったかも知れません。

 

知らないところで、人を感動させるのは才能なのか

保育園時代に、周りに合わせられなかった事もあったので、半ばあきらめかけていましたが、それでも息子なりに進歩はしていたようです。

 

初めての運動会の日、私は、お世話になった保育園の先生方に、声をかけました。

 

数人の先生が、見に来てくださり、息子の姿にいちいち感動して、泣き始めました。

 

「〇〇ちゃんが並んでる~!」

「走ってる~!」

「体操してる~!」

「成長したわね~!?」

 

ええ!そこまで…?

いや、ホントに申し訳ない…

 

よかったです、ちょっと普通になれて。

 

お友達からは人気者

そんな息子は、スレていなくて、思いのまま行動して、パパに似て可愛い顔をしていたので、誰からも好かれていました。

 

勉強については、まるでダメで、教科書、筆箱も自分で出さなかったほどなので、隣りに座った、お世話好きな女の子が全部用意してくれていたそうです。

 

もちろん、心配ではありましたが、先生に相談すると、早生まれだからまだ幼いのではないか?と言われました。

 

なぜか息子は有名で、一緒に歩いていると、いろんな人から声をかけられました。

 

「あっ!〇〇だ。

〇〇~!!!」

 

「知ってる人?」

 

「いや、知らない…」

 

こんな事が日常茶飯事的にありました。

 

どうやらいるだけで華がある存在だったようです。

 

無理やり勉強させるな

ある日、単身赴任している夫から、電話がありました。

 

「昨日、テレビを観ていたら、学習障害の特集をやっていたんだけど、〇〇はそうだと思うんだよね。

なぜかと言うと、自分がそうだった、親や先生が怖くて、無理やり我慢してたから、身体が動くようになっちゃったんだと思う。

だから、あいつは無理やり勉強させたりしないでくれる?」

 

h-navi.jp

 

夫は、初めて会った時からトゥレット症候群という症状がありました。

 

自分の意志に反して、身体が動いてしまうのです。

 

それも後天的で、中学生ぐらいの頃から始まったのです。

 

難病情報センター | 神経系疾患分野 トゥレット症候群(平成22年度)

http://www.nanbyou.or.jp/entry/856

 

 その言葉でようやく、私も腑に落ちるところがありました。

 

それから私は、学習障害を含む、発達障害について勉強し始めました。

 

当時はあまり知られていない障害でした。

 

発達障害の主な分類と主な種類

発達障害とは?発達障害の分類・症状・特徴・診断方法はどのようなもの?の画像
発達障害の種類と概念図
Upload By 発達障害のキホン
発達障害」と一言でいっても、その種類はいくつもあります。また、法律上の分類と医学的な診断名や診断基準は異なるため注意が必要です。

 

発達障害を持った芸能人で、有名なのは、トム・クルーズ黒柳徹子さんetc…です。

 

勉強ができなくても、自分自身が持った得意分野を伸ばしてあげると、恐るべき力を発揮すると言われています。

 

親や周囲の理解によって、温かく見守り、不安を取り除いてあげて、良い所を伸ばしてあげる、それが大事な事と、私は理解しました。

 

ある日の授業参観の時の事です。

 

国語の時間で、みんなで教科書を音読していました。

 

ふと、息子を見てみると、教科書は持っているけど、全然目で字を追っていないのです。

 

そう、すべて暗記していたのです。

 

唖然としました。

 

息子は、こうやって自分自身を守る術を身に付けていたのでした。

 

救急車4回出動させる

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どこのお宅も、近いものがあると思いますが、男の子はとにかくヤンチャで、ちょっと目を離すとケガをしていたりします。

 

息子は、小学生低学年までに、4回も救急車に乗っています。

 

しかもすべてケガによってです。

 

ある日、お姉ちゃんとお風呂に入っていて、楽しそうに、キャアキャア声が聞こえていたのですが、急にお姉ちゃんが

 

「キャ~!〇〇が!血が、血が~!」

 

「え…?」

 

急いで、お風呂に行くと、顔全体血で覆われた、まるでオカルト映画のような息子が…

 

「何~これ!どうしたの?どこから血が出てるのよ?」

 

「ビニールのボールに乗ってたら、ピョン!ってなってお風呂の角にぶつけたの!」

と、お姉ちゃん。

 

とりあえず乾いたタオルで血を拭き取ると、おでこに切れた痕が。

 

そして…ピーポーピーポー♪…

 

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2回目はこれです。

 

ネットフェンスというそうですが、学童保育所の庭で遊んでいた時、どうゆうわけかフェンスの下の先部分が右足首あたりに刺さって抜けなくなり、自力で抜こうと、足を引っ張れば引っ張るほど肉に食い込んで行く…というまさに地獄の体験を。

 

周りが気付いてくれた時にはすでに、フェンスを切らないと足が取れない状況だったらしく、学童保育の先生がフェンスをカットし、足にくっついたまま…

 

ピーポーピーポー♪…

 

3回目は、交通事故です。

 

自宅の近くの急な坂道を勢いよく子供用の自転車で

 

「ビュー!」

 

ブレーキはかけないのが子供。

 

そして、タイミングよく軽自動車が…

 

膝当たりにタイヤが載ってしまったそうです。

 

身体が柔らかいので、骨折は免れましたが、驚いたのは、轢いてしまった女性。

 

「キャ~!大丈夫~!」

 

そして…ピーポーピーポー♪…

 

4回目も交通事故。

 

私が自宅で、手芸教室をしていると、学校から電話がありました。

 

「おかあさん、〇〇くんがコンビニの駐車場で、交通事故にあったみたいです。

頭を轢かれたかも…という情報も入っています!」

 

「えっ…!」

 

その時点で頭が真っ白になりました。

 

ちょうどその1ヵ月前、同じクラスの女の子が、交通事故で亡くなっていたのです。

 

その時の事が、オーバーラップされてしまいました。

 

しかも、頭轢かれたって…

 

現場まで歩いて15分

 

もうクラクラして歩行困難になっていました。

 

たまたま、手芸教室に来ていた生徒さんのお母さんが いてくださったので、

 

「しっかりして!一緒に行ってあげるから」

 

私を誘導してくれて、なんとか現場に辿り着きました。

 

息子は、駐車場の真ん中に座り込んで、大声で泣いていました。

 

良かった!生きてた!

 

顔を見ると、顔面全体が紫色になっていました。

 

あまりの恐怖に、力が入り過ぎて、毛細血管が切れたそうです。

 

あとは、白目の中に赤いほくろのようなものが見えました。

 

車高の高いハイエースが、車庫入れする時に、息子が自転車で真後ろにいて、気づかれずに、車の真下に入り込む形になってしまったようです。

 

第一発見者の方が、頭を轢いてしまったように見えたようで、実際は奇跡的に無傷でした。

 

そして、ピーポーピーポー♪…

 

ある意味、ついてる子ですね。

 

男の子を産んだ時点で、ある程度覚悟はしていましたが、とにかく驚かされました。

 

息子ちゃん、オーデイションを受ける

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 息子は、とにかく人気者で、いるだけで目立つ子でした。

 

そのため、よくジャニーズのオーデイションに受ければ?と言われたものでした。

 

そこまで言われるなら…と、勝手に私が応募した事があります。

 

すると、なんとホントに受かってしまったのです。

 

息子は、まったく興味のない世界で、スマップがジャニーズだという事もわからないくらいでした。

 

「テレビ出ると、お小遣いがもらえるよ~?

出てみたら~?」

 

「じゃあ出る」

 

そんなノリでした。

 

格通知というものは特になく、FAXで

「〇月〇日〇〇時~どこどこに、来られたら来てください!」

 

そんな連絡が毎回あり、最初に呼び出されたのは、横浜アリーナでした。

 

当事者以外は一切中に入れず、

 

「何やってきたの?」

 

「なんか、いろいろ聞かれて~…

ダンスのレッスンして~終わり!」

 

「どんなダンス?」

 

すると、それらしきダンスを踊って見せてくれました。

 

「すごいね~?もう踊れるの?」

 

「これ、ジャニーさん!ジュースおごってくれた」

 

「!!!普通のおじさん!?」

 

しっかり、写メにジャニーさんを収めてありました。

 

数日後、入ったFAXには

「東京ドームに、来られたら来てください」

 

そこがなんと、KAT-TUNのデビューコンサート会場だったのです。

 

いきなり本番?

 

息子もよくわかっていないので、他のレッスン生と共に、関係者入口に。

 

すると女の子の黄色い声が!

 

「あの子もレッスン生だったんだ!かわいい~!」

 

ファンの女の子の情報はすごいです。

 

まだ、雑誌にも出ていないレッスン生も、しっかり把握しているし、チケットが取れなくて中に入れなくても、ドームの周りをウロウロして、情報を得ようとしているんです。

 

コンサートが終わって、早速お友達になった男の子と、仲良く出口から出て来ると、若い女の子に話しかけられていました。

 

「何、聞かれたの?」

 

「君たちもレッスン生?チュッパチャップス食べてください!」

 

「もらわなかったの?」

 

「好きな味じゃないから、いらないって言った」

 

息子らしい…

 

その後、 何回かレッスンに呼ばれましたが、いつのまにか呼ばれなくなりました。

 

すべて、連絡は先方側からなので、なくなった時点で、THE ENDと思われます。

 

あの頃は、息子も自分の最寄駅も知らなかったし、住所も電話をかけて聞いてきたし、先方の言ってる意味も、ほとんどわかっていなかったと思います。

 

もしかしたら次があったかも知れませんし、なかったかも?今になれば謎ですね?

 

ちなみに今、活躍している子だと、山田涼介くんなどと同期です。

 

児童精神科受診へ

小5になり、担任が変わると、ベテラン20年選手の先生になり、ある日呼び出されました。

 

「私は、20年ぐらい教師をしていますが、〇〇君のような子は初めて見ました。

お友達関係も良く、リーダーシップも取れる、ただ勉強だけができないっていうのは、珍しいんです。お母さんだから話せるんですが、児童相談所に行かれてみてはいかがですか?」

 

「私も主人も、学習障害ではないか?と思っていましたので、先生からそう言っていただけると行きやすいです、ありがとうございます」

 

そんなやり取りをして、まず地域の児童相談所に行き、そこから児童精神科を紹介してもらいました。

 

何種類かの検査をして、学習障害だということがはっきりわかりました。

 

この年齢で通常IQが100前後だとすると、息子の場合70~90で、見た目ではわからない、ボーダーラインだと言われました。

 

IQは、どんなにがんばっても上がる事はないので、義務教育そのものがネックになってきます。

 

「〇〇くんが、義務教育をいかにうまく乗り切って、社会に出られるようにして行きましょう」

 

先生には、そのように言われました。

 

無理やり勉強を押し付け、不登校になってしまうと、進学ができないので、楽しく通学できるように、周りの理解が必要になってくるとの事でした。

 

「社会に出て働くためには

  • 15分椅子に座っていられる事
  • 小3レベルの漢字が読める

これだけできれば大丈夫なので、とにかく楽しく学校に通わせてあげてください」

 

当時は、今ほど発達障害が知られてなく、先生の方から接し方を聞いて来られたくらいで、熱心な先生は、診察に一緒に来て下さり、発達障害について学ぼうとされていました。

 

学校の授業では、ひたすら寝てばかりいたようですが、5分~10分、そして10分~15分、大人しく座っていられるのを目標にしていました。

 

息子の夢

私は、息子が学習障害だとわかった時点で、本人に告げました。

 

そして、それは個性のようなもの、好きな事が見つかったら、思いっきりやっていい、トム・クルーズの話もしました。

 

実は、息子は料理が好きでした。

 

幼少の頃から、私の知らない間に、自分で冷蔵庫を開け、納豆ごはんを作ったり、お餅を焼いたりして食べていました。

 

私が息子に告白した時点で、調理師になる!と、決めていたようです。

 

高校は、私立の高等専修学校で、調理師の資格が取れる学校に行きました。

 

普通の子だったら、何でもない授業も苦労していましたが、彼なりにがんばって、就職する事もできました。

 

調理師の世界は厳しい世界、就職して10人のうち1人しか残らない、そう脅かされて、仕事をする前は、ちょっと神経質になっていましたが、そんな息子も今では4年目、立派な和食の調理師として活躍しています。

 

本日のまとめ

一番心配だった息子が、今では一番の稼ぎ頭になっています。

 

昔はママっ子だった息子が、自立してしまい、寄り付かなくなってしまったのが悲しいですが、いい歳をして親のスネをかじるような子にならなくて良かったんですよね、きっと。

 

冒頭に書いたように、子育ては愛!これに尽きます。

 

愛の形は、それぞれ違うと思いますので、細かい事は言えませんが、私は等身大の自分を常にぶつけて行った気がします。

 

そうすればきっと、子供たちには響くと思いますよ!