50代子育て人生を振り返りながら趣味に生きる

子供のこと、趣味のこと、人生楽しんでいます。

子育てエピソード Vol.2 娘編

愛する子供たちに、接する幸せ…。

でも、余裕がなくて、つい怒ってしまう、ダメダメママ。

子育てに、協力を頼めない夫。

今、思うと後悔だらけですが、一生懸命生きていた私。

すべて、子供たちがいてくれたからです。

たくさんの思い出を作ってくれた感謝を込めて綴ります。

今回は、娘のエピソードです。

娘の趣味、習い事

f:id:ateliereri1rst:20180201204150p:plain

追っかけおばあちゃんの夢

初孫の娘を、恐らく私より、愛していたのではないか?

そんな、追っかけおばあちゃんは、ピアノが好きでした。

 

「おばあちゃんも、ピアノが好きで習っていたから、女の子ができたら、ピアノをやらせたかった…月謝は、おばあちゃんが払うから!」

 

という事で、娘は3歳からYAMAHA音楽教室のグループレッスンに通う事になりました。

 

月謝を払うのは義母でしたが、同行するのは私。

 

仕事の休みの日に、義母のうちの近くの教室まで、車で送り迎えをしました。

 

特に反対する理由もなく、電子ピアノまで義母が買ってくれたので、娘が楽しくできればいいや、程度に思っていました。

 

音大に入って欲しい、と義母は思っていましたが、私は、とにかく娘の意志を尊重しました。

 

2年程経つと、娘はピアノ教室に行く事を、嫌がるようになりました。

 

泣きながら、ヤダヤダ!と、言うようになったのです。

 

不思議に思い、娘に事情を聞きました。

 

「どうして、ピアノ教室行きたくないの?」

 

「みんな、練習ちゃんとしてきて上手なの。私、保育園に行ってて、帰るの遅いし、練習してないから、みんなの前で弾くのがイヤ!」

 

グループレッスンだと、どうしてもみんなの前で弾く事もあります。

 

他の子が、ちゃんと弾けているのに、自分が弾けないのが目立つ事を、恐れていたのです。

 

泣くほど、イヤなら行かなくていいと、私は思っていたのですが、義母は、かなり期待していたようで、残念がっていましたが、ピアノは止めることにしました。

 

自分の夢を人に押しつけて、いい結果が出るわけありませんよね。

 

好きな事に、まっしぐら

とにかく娘は、極端で、やる、やらないが、はっきりしていました。

 

学校で、いつから宿題が始まったかわからなのですが、

 

「宿題って出ないの?」と聞く私に

 

「うん、出ない」

 

娘は、いつもそう答えていました。

 

5年生になって、さすがにそろそろ出してもらわないとまずいんじゃないか?と、私は思い、ある日、保護者会の時に先生に尋ねました。

 

「先生、宿題はいつ頃から出るんですか?」

 

「おかあさん、宿題は毎日出ていますよ。ちなみに、〇〇〇ちゃんは、いつも宿題忘れた人~?って聞くと、ハイ!って元気に手を上げますよ?」

 

「!??」

 

周囲、爆笑の海…やられた~…

 

私がこんな事になってるのも知らずに、娘は、ドタコメ漫画を描いては、友達に見せて、人気者になっていたという事実を、後で知る事になるのです。

 

好きな事は、勝手に見つけてくる

f:id:ateliereri1rst:20180201221628p:plain

 

グループレッスンで、挫折したピアノでしたが、しばらくして娘は、1対1のレッスンならやりたいと言い出し、YAMAHAの個人レッスンで、またピアノを再開しました。

 

先生とも気が合い、ピアノも自分から練習して、どんどん上手になり、発表会にも出るようになりました。

 

そのころ私は、パッチワークの指導員もしてましたし、趣味で洋裁もしていました。

 

ピアノ教室の受付の女性と仲良くなり、その女性がバレエの先生で、私にバレエ衣裳の製作を手伝って欲しいと相談され、衣裳を製作するようになりました。

 

彼女のレッスン教室の生徒さんの採寸をしに、娘を連れて何度も行ってるうちに、娘が、バレエをやってみたい、と言い出しました。

 

私も、一度でもいいからこんな衣裳を娘に着せてみたいという、軽い気持ちから、レッスンを始めさせるようになりました。

 

娘が、小5の時の事でした。

 

バレリーナになる!

ひょんなきっかけで、バレエを始めた娘は、いつのまにかバレエに夢中になりました。

 

そしてある日、言い出しました。

 

「私、プロのバレリーナになりたい!

みんなは、早く始めてるけど、私は、始めたのが遅いから、みんなより何倍もがんばらなきゃいけないの!」

 

まさか、こんな展開になるとは、思ってもいませんでした。

 

でも、娘はそれからほぼ毎日、バレエのレッスンに通うようになり、メキメキと上達していきました。

 

始めは、ピアノとバレエを掛け持ちしていましたが、本格的にバレエがうまくなりたいから…と、中2でピアノを止めました。

 

中学生になっても、学校の部活は入らず、バレエオンリーの生活になりました。

 

私は、仕事をしながら、送り迎えをしました。

 

夢は叶えてあげたい!

f:id:ateliereri1rst:20180203003006p:plain

 

私は、好きな事に対しての執着心は半端じゃなく、資格取り魔でした。

 

好きが高じて、パッチワークの指導員になったぐらいですから。

 

ですから、娘の気持ちは良くわかります。

 

バレエは、とにかくお金がかかります。

 

私も、某大手のデパートの契約社員になって、働きました。

 

は叶えるもの…

 

少しでも可能性があるならば、私は精一杯応援するスタンスでした。

 

ところが、夫と意見が食い違いました。

 

夫の意見は、こうでした。

 

「お前、ホントに〇〇〇がバレリーナになれると思ってるの?

バカじゃないの?そんな簡単になれるわけないじゃん?

それに、自営で不安定なのに、そこまでお金をかけられない!」

 

そういえば、夫はいつもそうでした。

 

実の親が厳しくて、あれはダメ、これはダメ!と言われて育ってきたので、始める前にあきらめてしまうのです。

 

そこへ行くと私の親は、お金こそなかったものの、好きな事は何でもやらせてくれました。

 

その代わり、自分の行動に責任を持て!と。

 

実際私は、夫に無理だと言われていた、パッチワークの指導員にもなったし、大手のデパートの契約社員にも、40歳を過ぎてから合格したのです。

 

たとえ、娘がバレリーナになれなかったとしても、納得できるまでやらせたい!

 

私は、そう思いました。

 

輝いた日々

f:id:ateliereri1rst:20180203013808p:plain

娘は、自分でもアルバイトをし、バレエを続け、どんどん上手くなって行きました。

 

舞台で踊る、キラキラした娘を観るのが本当に嬉しかったです。

 

発表会が行われる度に、出番も多くなり、主役を務めるようになりました。

 

コンクールにも出るようになりました。

 

先生は、すごく厳しかったのですが、絶対に止めるとは言いませんでした。

 

高校を卒業したら、ロシア国立のバレエ学校にも入学しました。

 

そのうち、チャンスが巡ってきて、先生の所属している、超有名なバレエ団に入るオーデイションも受けられるようになりました。

 

もう少し続ければ、プロになれる…というところで、突然娘は、バレエを止める、と言い出しました。

 

20歳の頃だったと思います。

 

理由は、自分の限界を知った事、もう納得できるところまで来た、と。

 

バレリーナは、プロになったからと言って、皆がそれで食べて行けるわけじゃありません。

 

ほとんどのプロは、講師をしたり、アルバイトをしたりで、生計を立てています。

 

自分の出演する公演のチケットも売らなければならないのです。

 

それもネックになっていたし、結婚も考え始めました。

 

いろいろ考えた末の決断でした。

 

大きな代償

とにかくバレエは、お金がかかりました。

 

一万円札が、千円札の感覚で出ていきました。

 

発表会も主役級になると、1日で¥20万以上かかりました。

 

トウシューズも、発表会前になると、1足¥10000ぐらいするものが、2週間でダメになりました。

 

コンクールに出るにも、1回¥60000ぐらいかかります。

 

レッスン代は別途です。

 

バレエ学校に行くのも、夫が自営だったため、私の名義で国民金融公庫から借りたほどです。

 

代償とはこの場合、お金を意味します。

 

その、お金の工面がとにかく大変でした…。

 

大変だからこそ、娘が納得行くまでやらせてあげられて良かったと思います。

 

あっという間に育ってる

f:id:ateliereri1rst:20180206153755p:plain

 彼氏の存在

バレエを続ける、続けないで悩んでいた頃、娘に彼氏ができました。

 

自然な流れなのでしょうが、結婚したいと言い出し、私の言う事より、彼氏の言う事を聞くようになりました。

 

彼氏の育った環境が、あまりに我が家と違ったため、よく衝突しました。

 

私は、お母さんの人形じゃない!

 

そう突然言われて、驚いた事もありました。

 

初めての反抗期が、訪れたのです。

 

振り返れば、自分もそうだったな~?仕方ないか~。

 

そろそろ、私の子育ても終わりかな…

 

ちょっと、淋しい気もしました。

 

自立への目覚め

この頃から、私も何となく、自分からアドバイスをしたりする事がなくなってきました。

 

自分の身辺が大変だったのもありますけど…。

 

娘は、どんどん自分で考えて行動するようになりました。

 

あまりにも早い自立に、なかなか子離れできない自分がいて、戸惑いもありました。

 

本日のまとめ

子育ては、終わったかに見えましたが、これからは、私と元夫が、反面教師となり、娘は、更に学んで行きます。

 

そして、必要に応じて相談してくるようになりました。

 

たまには私が、お説教されたりする事もあります。

 

以前は絶対言わない、感謝の言葉も言われるようになり、母親としては、一生懸命やってきてよかったな、と思います。

 

これからも、ドラマは続きます。

 

楽しみにしていてくださいね!