50代子育て人生を振り返りながら趣味に生きる

子供のこと、趣味のこと、人生楽しんでいます。

子育てエピソード Vol.1 息子編

一姫二太郎…理想の組み合わせで、子供が授かりました。

私の、子育て奮闘記、話し出したら止まりません。

今日は、かわいいかわいい、息子の子育てエピソードを、お送りします。

 

 

妊娠、出産も、立派な子育て

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妊娠、出産は、人によって、程度が違う

一般的にも言われている事ですが、結局は、体験して、他の人と比べて、検証しないとわからないものだと思います。

 

先日も、ニュースがありましたね。

電車の中で、突然産気づいて、出産してしまった事件が。

 

その時も、ワイドショーなどで、信じられないコメントを聞きました。

 

なんで、車に乗らない?タクシー呼ばない?電車遅れて迷惑?

お産を体験した人は、口が裂けても言えない言葉を、知らない人は、サラッと言ってしまうんですね?

 

まず、産婦人科で、指導されるのは、なるべく運転はしないでください!救急車は、よほどの事がなければ、呼ばないでください!

 

でも、人によっては、陣痛の前に破水をしてしまう場合があります。

痛みもなく、陣痛が始まって、10分ぐらいで産まれてしまう場合もあります。

 

やっかいなのは、いつそうゆう状況が起こるか、誰も予測はできないのです。

192abc.com

https://192abc.com/22379

 破水によって、赤ちゃんがスムーズに出てくるので、急いで処置をしないと、出産に影響が出たりします。

 

今は、出産によって、亡くなる人は少ないですが、それは、科学が進歩したからであって、母子共に命がけの、大変な子育ての第一歩なのです。

 

情報が、これだけ入りやすい世の中なのですから、人として、このぐらいの知識は持っていてもらいたいですね。

 

再び、切迫流産

私の場合も、妊娠、出産は、大変なものでした。

 

2人目の妊娠の時も、切迫流産だったのです。

 

安定期と言われる5ヵ月目に入る頃、出血してしまいました。

 

急いで産婦人科に行くと、上の娘が、2歳になっていたので、安静にするのは難しいだろう?という事で、即、入院を余儀なくされました。

 

特に痛みなどはなかったのですが、とにかく動いてはいけないという事で、産婦人科のベッドで、ひたすら寝たきりの生活が、始まりました。

 

出血を止める薬を1週間飲み、止まってから、薬を飲まない状態で1週間経って、やっと退院ができます。

 

娘は、追っかけおばあちゃんにおまかせして、私の入院生活が始まりました。

 

1人目も、切迫流産だったので、1週間もすれば、出血が止まるだろう…そう、軽く考えていましたが、そう簡単には行きませんでした。

 

入院して半月ほどしたある日、異変に気付きました。

 

不安を感じて、トイレに行くと、大量に出血が起こっていたのです!

 

血の気が引きました。

もう、赤ちゃんが一緒に流れてしまった、と思いました。

 

急いで、ナースコールをして、診察してもらいました。

 

結果は、前置胎盤になりかけていて、そのための出血でした。

  前置胎盤:病気を知ろう:日本産科婦人科学会

http://www.jsog.or.jp/public/knowledge/zenchitaiban.html

 

 出産は、子宮口から赤ちゃんが出てくるのですが、胎盤というベッドのようなもので、赤ちゃんは覆われています。

 

その胎盤は、通常子宮口からずれて、安定期になると子宮の壁に落ち着くのですが、前置胎盤は、子宮口を胎盤が塞いでしまうため、赤ちゃんが通る道を塞いでしまうのです。

 

ということは、普通分娩は不可能ですし、産むまでの間、絶対安静で、身体を動かして大量出血が起こると、母子共に、命が危なくなります。

 

その時は、まだ胎盤が落ち着き切っていなくて、動く可能性があるので、このまま様子を見ましょう、という事になりました。

 

そして、万が一の為に、子宮頸管縫宿手術をしました。

頸管縫宿術とはどういう手術ですか?

http://www.ladys-home.ne.jp/faqsite/ans-files/FAQ-S/FAQ-S2.htm

 早く言えば、赤ちゃんが出産まで出て来ないように、子宮口を糸で絞ってしまう、という事です。

 

それでも、下手すると、産むまで入院、しかも帝王切開…つまり、リスクを背負った出産という事です。

 

身体の痛みはなかったのですが、不安な精神状態になった事は間違いありません。

 

数週間経って、診察してもらうと、幸運にも胎盤が、正常な位置に動き、定着したと、告げられました。

 

普通分娩もできるし、退院もできる事になったのです。

 

入院している間は、なるべく心配しないようにしていましたが、2歳半になっていた娘を置いてきているわけですから、淋しい思いをしているんじゃないか?それももちろん気になっていました。

 

追っかけおばあちゃんや、夫が、ちょくちょく連れて来てくれて、元気な姿も見せてくれましたが、娘が帰る時は、やはり可哀そうに思いました。

 

 

子育て以前に、キツかった出産!

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2度目の出産という事で、もちろん産む時は痛いのですが、喉元過ぎれば熱さを忘れる…気持ち的には余裕がありました。

 

ところが!!!

 

2度目は、さらにさらにさらに、キツ~い!一生忘れられない、出産経験となってしまいました。

 

陣痛が始まり、1度目と同じように、入院の準備をして、陣痛室に入りました。

 

また、2日越しかなあ~?そんな軽い気持ちでいたのですが、助産婦さんが、なかなか陣痛が強くならず、子宮口も開いていない私に、2人目だから、子宮口を開けば、自然と陣痛が伴って、強くなると、判断したのです。

 

触診で、子宮に手を入れられ、グワーッと子宮口を、いきなり開かれました。

 

え???

戸惑う私…

 

子宮口、8cm開いたから、そろそろ産まれるでしょう…?と、分娩室へ直行しました。

 

ところが…陣痛がついてこないんです!

 強くならないんです!

すいませ~ん、これじゃあ、出せないんですけどぉ~(泣)

 

「ほら、いきんで~!」

「え~!無理~…

う~…う~ん…!」

 

今度は、自分で力を振り絞って、出すしかなかったのです。

 

そんな、てんてこ舞いしているところに、なぜか夫が分娩室に入って来ていて、絶句していました。

 

「なんで?そんな設定じゃなかったよね?」

 

「もう産まれたって言われたから、入って来たんだけど…」

 

夫は、ただ焦るだけ、私が苦しんでるのに、横で笑っている…

 

「なんで笑ってるの?」

 

「笑うしかないだろう?」…ドギマギ…

 

それを見ていた助産婦さん、

「お父さん、ほら、腰をさすってあげて~」

 

「いや…腰痛くないから、お腹だから…

もういい、触らないでいいから~!

うわあ~!」

 

こんな時、夫というものは、全く頼りにならないもので、私の脳裏に浮かんでいたのは、ひたすら自分の母親でした。

お母さ~ん!

不思議ですね。

 

そして、なんとか産み落とした息子を見て、夫は感動しているのでありました…。

 

このぐらいの刺激、与えといて正解かもですね、男の人には。

 

産むより苦しい、恐怖の体験

ところが、これで終わりじゃなかったのです、実は…。

 

更なる試練が、私の身に降りかかりました。

 

院長先生が、ニコニコして、

胎盤が子宮内に残っているので、取りますよ~。」

 

「!?」

 

そして、いきなり先生の手が、子宮の中に、ズボッ!

 

「うぅぅ~~~~っ!

うわぁ~~~…!

ギャァ~~…!」

 

痛すぎて、声にならない声が。

 

子宮の中から、残っている胎盤を、掻き出し始めたのです!

 

まるで、お腹の皮を突き破って、先生の手が出て来るような痛さでした。

 

それでも、先生はニコニコ、

「切迫流産すると、胎盤が残りやすいんですよね~?

胎盤は、全部出さなきゃいけないですからね~。」

 

「あ…そうですか…はぁはぁ…」

もうダメ…死ぬ…かと思いました、ほんとに!

 

声を大にして言いたいです!

 

お産って、大変です!!! 

 

ちなみに、上の子も下の子も、平均体重より少なかったので、保育器に入りましたが、元気に育ちました。

 

 

 

親を困らせるのが、子供の仕事~子育ての必要性

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目に入れても痛くないのは本当

こうして、新たな家族を迎え、忙しい子育て生活は再開されました。

 

相変わらず、共働きしないと厳しい環境のため、息子は産まれて1ヵ月半で、保育園に入りました。

 

こんな産まれたての赤ちゃんを、預けて働きに行かなきゃならないなんて、まさに断腸の思いでした。

 

娘の時は、断乳するまで、母乳のみで育てたのに、息子は、早く離れすぎたせいか、2ヵ月したら、母乳が出なくなってしまいました。

 

そんな事でも、可哀そうと思ってしまいました。

 

救われたのは、赤ちゃんのうちに、保育園に預けたので、後追いがなかった事で、保母さん(当時は、保育士と呼んでいませんでした)を、第2のお母さんと思うくらいなついていて、とても可愛がられました。

 

娘も息子も、私があまり見てあげられないからと、毎日の生活を報告してくれ、写真もたくさん撮ってくれました。

 

息子は、娘をはるかに超えるマイペースぶりで、先生の手を焼かせました。

 

いわゆる、今時の聞き分けのいい子ではなく、子供らしい子供だったのです。

 

毎日、泥だらけになり遊び、着替えは常に10組ぐらい持って行っていました。

 

Tシャツはもう、泥染めのようになっていましたが、私は、子供らしく遊ばせてあげたかったので、逆に嫌がらない先生に感謝していました。

 

中には、服を汚さないようにしつけられていて、着替えも2組ぐらいしか置いていかないお母さんもいたようです。

 

時々、園内からいなくなって、近くの公園で、木に登っていたり、雨が降って、みんなお部屋に入っているのに、気が付くと園庭の水たまりに座って、ジャバジャバしていたり…

 

ある日、息子に聞いてみました。

 

「どうして、水たまりで泳いでたの?」

 

すると、息子は

 

「だって、海にいるみたいでしょう?」

 

なんて可愛いんだ~!

 

いろんな意見があるでしょうが、私には、天使に見えました。

 

 

子供の立場になってみる

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私は、パッチワークの指導員をしていたぐらいなので、子供の入園グッズも、もちろん自分で作りました。

 

ある日、保育園にお迎えに行くと、息子が嬉しそうに走って来て、ママにおみやげ~!と、手作りの通園バッグを開きました。

 

中には、たくさんのダンゴムシが、ま~るくなって入っていました。

 

キャア~~~!(心の声)

 

「〇〇ちゃん、ありがとお~…」(声震えてるけど、笑顔)

 

ゾクッ!っとしたけど、悟られないように…

 

息子は、蔓延の笑みなのだから、きっと、私に見せるのを楽しみに、いっぱい探しに探したに違いない、しっかりしろ~!私…

 

これが、正しい子育ての姿勢、今でも私はそう思っています。

 

集団行動ができない子 

 赤ちゃんの時から、保育園でお世話になっていて、少しずつ成長していく過程で、それぞれの個性が出始め、だんだんわかってきたのが、息子は、娘よりも更に、マイペースだという事でした。

 

マイペースを通り越して、みんなと一緒の行動ができない事がわかってきました。

 

はっきりわかったのは、運動会に参加できなかった時の事です。

 

競技に参加ができない、並べない、同じ事をしない、合わせない…

 

何度、言い聞かせてもダメでした。ただの1種目も参加しようとしないのです。

 

しっかりした女の子には、〇〇ちゃん、ちゃんとやってくれなくて、すご~い迷惑~!と言われ、私が謝ったりしました。

 

年長さんになり、組体操の種目があっても、参加する事はできませんでした。

 

個性を大事にする保育園だったので、先生もある程度、誘っても無理だとわかると、

「お母さん、そこまで無理やりやらせなくていいですよ!」と言われました。

 

とは言っても、このまま小学生になったら、どうすればいいんだろう?

 

さすがの私も、焦りを隠せませんでした。

 

子育ては、まだまだこれから…

子育てを、ブログで語るには、とても1回では終わりません。

大変なのは、まだこれからです。

これから、お母さんになる方のためにも、子育ての経験がない方のためにも、私の体験談によって、子育ての重要さを少しでも知っていただけるといいなと、切に願いながら、綴っていきたいと思います。

ERIのストーリーは、まだまだ続きます。

 

それでは、お楽しみに!