子育てエピソード Vol.1 息子編
一姫二太郎…理想の組み合わせで、子供が授かりました。
私の、子育て奮闘記、話し出したら止まりません。
今日は、かわいいかわいい、息子の子育てエピソードを、お送りします。
妊娠、出産も、立派な子育て
妊娠、出産は、人によって、程度が違う
一般的にも言われている事ですが、結局は、体験して、他の人と比べて、検証しないとわからないものだと思います。
先日も、ニュースがありましたね。
電車の中で、突然産気づいて、出産してしまった事件が。
その時も、ワイドショーなどで、信じられないコメントを聞きました。
なんで、車に乗らない?タクシー呼ばない?電車遅れて迷惑?
お産を体験した人は、口が裂けても言えない言葉を、知らない人は、サラッと言ってしまうんですね?
まず、産婦人科で、指導されるのは、なるべく運転はしないでください!救急車は、よほどの事がなければ、呼ばないでください!
でも、人によっては、陣痛の前に破水をしてしまう場合があります。
痛みもなく、陣痛が始まって、10分ぐらいで産まれてしまう場合もあります。
やっかいなのは、いつそうゆう状況が起こるか、誰も予測はできないのです。
破水によって、赤ちゃんがスムーズに出てくるので、急いで処置をしないと、出産に影響が出たりします。
今は、出産によって、亡くなる人は少ないですが、それは、科学が進歩したからであって、母子共に命がけの、大変な子育ての第一歩なのです。
情報が、これだけ入りやすい世の中なのですから、人として、このぐらいの知識は持っていてもらいたいですね。
再び、切迫流産
私の場合も、妊娠、出産は、大変なものでした。
2人目の妊娠の時も、切迫流産だったのです。
安定期と言われる5ヵ月目に入る頃、出血してしまいました。
急いで産婦人科に行くと、上の娘が、2歳になっていたので、安静にするのは難しいだろう?という事で、即、入院を余儀なくされました。
特に痛みなどはなかったのですが、とにかく動いてはいけないという事で、産婦人科のベッドで、ひたすら寝たきりの生活が、始まりました。
出血を止める薬を1週間飲み、止まってから、薬を飲まない状態で1週間経って、やっと退院ができます。
娘は、追っかけおばあちゃんにおまかせして、私の入院生活が始まりました。
1人目も、切迫流産だったので、1週間もすれば、出血が止まるだろう…そう、軽く考えていましたが、そう簡単には行きませんでした。
入院して半月ほどしたある日、異変に気付きました。
不安を感じて、トイレに行くと、大量に出血が起こっていたのです!
血の気が引きました。
もう、赤ちゃんが一緒に流れてしまった、と思いました。
急いで、ナースコールをして、診察してもらいました。
結果は、前置胎盤になりかけていて、そのための出血でした。
出産は、子宮口から赤ちゃんが出てくるのですが、胎盤というベッドのようなもので、赤ちゃんは覆われています。
その胎盤は、通常子宮口からずれて、安定期になると子宮の壁に落ち着くのですが、前置胎盤は、子宮口を胎盤が塞いでしまうため、赤ちゃんが通る道を塞いでしまうのです。
ということは、普通分娩は不可能ですし、産むまでの間、絶対安静で、身体を動かして大量出血が起こると、母子共に、命が危なくなります。
その時は、まだ胎盤が落ち着き切っていなくて、動く可能性があるので、このまま様子を見ましょう、という事になりました。
そして、万が一の為に、子宮頸管縫宿手術をしました。
http://www.ladys-home.ne.jp/faqsite/ans-files/FAQ-S/FAQ-S2.htm
早く言えば、赤ちゃんが出産まで出て来ないように、子宮口を糸で絞ってしまう、という事です。
それでも、下手すると、産むまで入院、しかも帝王切開…つまり、リスクを背負った出産という事です。
身体の痛みはなかったのですが、不安な精神状態になった事は間違いありません。
数週間経って、診察してもらうと、幸運にも胎盤が、正常な位置に動き、定着したと、告げられました。
普通分娩もできるし、退院もできる事になったのです。
入院している間は、なるべく心配しないようにしていましたが、2歳半になっていた娘を置いてきているわけですから、淋しい思いをしているんじゃないか?それももちろん気になっていました。
追っかけおばあちゃんや、夫が、ちょくちょく連れて来てくれて、元気な姿も見せてくれましたが、娘が帰る時は、やはり可哀そうに思いました。
子育て以前に、キツかった出産!
2度目の出産という事で、もちろん産む時は痛いのですが、喉元過ぎれば熱さを忘れる…気持ち的には余裕がありました。
ところが!!!
2度目は、さらにさらにさらに、キツ~い!一生忘れられない、出産経験となってしまいました。
陣痛が始まり、1度目と同じように、入院の準備をして、陣痛室に入りました。
また、2日越しかなあ~?そんな軽い気持ちでいたのですが、助産婦さんが、なかなか陣痛が強くならず、子宮口も開いていない私に、2人目だから、子宮口を開けば、自然と陣痛が伴って、強くなると、判断したのです。
触診で、子宮に手を入れられ、グワーッと子宮口を、いきなり開かれました。
え???
戸惑う私…
子宮口、8cm開いたから、そろそろ産まれるでしょう…?と、分娩室へ直行しました。
ところが…陣痛がついてこないんです!
強くならないんです!
すいませ~ん、これじゃあ、出せないんですけどぉ~(泣)
「ほら、いきんで~!」
「え~!無理~…
う~…う~ん…!」
今度は、自分で力を振り絞って、出すしかなかったのです。
そんな、てんてこ舞いしているところに、なぜか夫が分娩室に入って来ていて、絶句していました。
「なんで?そんな設定じゃなかったよね?」
「もう産まれたって言われたから、入って来たんだけど…」
夫は、ただ焦るだけ、私が苦しんでるのに、横で笑っている…
「なんで笑ってるの?」
「笑うしかないだろう?」…ドギマギ…
それを見ていた助産婦さん、
「お父さん、ほら、腰をさすってあげて~」
「いや…腰痛くないから、お腹だから…
もういい、触らないでいいから~!
うわあ~!」
こんな時、夫というものは、全く頼りにならないもので、私の脳裏に浮かんでいたのは、ひたすら自分の母親でした。
お母さ~ん!
不思議ですね。
そして、なんとか産み落とした息子を見て、夫は感動しているのでありました…。
このぐらいの刺激、与えといて正解かもですね、男の人には。
産むより苦しい、恐怖の体験
ところが、これで終わりじゃなかったのです、実は…。
更なる試練が、私の身に降りかかりました。
院長先生が、ニコニコして、
「胎盤が子宮内に残っているので、取りますよ~。」
「!?」
そして、いきなり先生の手が、子宮の中に、ズボッ!
「うぅぅ~~~~っ!
うわぁ~~~…!
ギャァ~~…!」
痛すぎて、声にならない声が。
子宮の中から、残っている胎盤を、掻き出し始めたのです!
まるで、お腹の皮を突き破って、先生の手が出て来るような痛さでした。
それでも、先生はニコニコ、
「切迫流産すると、胎盤が残りやすいんですよね~?
胎盤は、全部出さなきゃいけないですからね~。」
「あ…そうですか…はぁはぁ…」
もうダメ…死ぬ…かと思いました、ほんとに!
声を大にして言いたいです!
お産って、大変です!!!
ちなみに、上の子も下の子も、平均体重より少なかったので、保育器に入りましたが、元気に育ちました。
親を困らせるのが、子供の仕事~子育ての必要性
目に入れても痛くないのは本当
こうして、新たな家族を迎え、忙しい子育て生活は再開されました。
相変わらず、共働きしないと厳しい環境のため、息子は産まれて1ヵ月半で、保育園に入りました。
こんな産まれたての赤ちゃんを、預けて働きに行かなきゃならないなんて、まさに断腸の思いでした。
娘の時は、断乳するまで、母乳のみで育てたのに、息子は、早く離れすぎたせいか、2ヵ月したら、母乳が出なくなってしまいました。
そんな事でも、可哀そうと思ってしまいました。
救われたのは、赤ちゃんのうちに、保育園に預けたので、後追いがなかった事で、保母さん(当時は、保育士と呼んでいませんでした)を、第2のお母さんと思うくらいなついていて、とても可愛がられました。
娘も息子も、私があまり見てあげられないからと、毎日の生活を報告してくれ、写真もたくさん撮ってくれました。
息子は、娘をはるかに超えるマイペースぶりで、先生の手を焼かせました。
いわゆる、今時の聞き分けのいい子ではなく、子供らしい子供だったのです。
毎日、泥だらけになり遊び、着替えは常に10組ぐらい持って行っていました。
Tシャツはもう、泥染めのようになっていましたが、私は、子供らしく遊ばせてあげたかったので、逆に嫌がらない先生に感謝していました。
中には、服を汚さないようにしつけられていて、着替えも2組ぐらいしか置いていかないお母さんもいたようです。
時々、園内からいなくなって、近くの公園で、木に登っていたり、雨が降って、みんなお部屋に入っているのに、気が付くと園庭の水たまりに座って、ジャバジャバしていたり…
ある日、息子に聞いてみました。
「どうして、水たまりで泳いでたの?」
すると、息子は
「だって、海にいるみたいでしょう?」
なんて可愛いんだ~!
いろんな意見があるでしょうが、私には、天使に見えました。
子供の立場になってみる
私は、パッチワークの指導員をしていたぐらいなので、子供の入園グッズも、もちろん自分で作りました。
ある日、保育園にお迎えに行くと、息子が嬉しそうに走って来て、ママにおみやげ~!と、手作りの通園バッグを開きました。
中には、たくさんのダンゴムシが、ま~るくなって入っていました。
キャア~~~!(心の声)
「〇〇ちゃん、ありがとお~…」(声震えてるけど、笑顔)
ゾクッ!っとしたけど、悟られないように…
息子は、蔓延の笑みなのだから、きっと、私に見せるのを楽しみに、いっぱい探しに探したに違いない、しっかりしろ~!私…
これが、正しい子育ての姿勢、今でも私はそう思っています。
集団行動ができない子
赤ちゃんの時から、保育園でお世話になっていて、少しずつ成長していく過程で、それぞれの個性が出始め、だんだんわかってきたのが、息子は、娘よりも更に、マイペースだという事でした。
マイペースを通り越して、みんなと一緒の行動ができない事がわかってきました。
はっきりわかったのは、運動会に参加できなかった時の事です。
競技に参加ができない、並べない、同じ事をしない、合わせない…
何度、言い聞かせてもダメでした。ただの1種目も参加しようとしないのです。
しっかりした女の子には、〇〇ちゃん、ちゃんとやってくれなくて、すご~い迷惑~!と言われ、私が謝ったりしました。
年長さんになり、組体操の種目があっても、参加する事はできませんでした。
個性を大事にする保育園だったので、先生もある程度、誘っても無理だとわかると、
「お母さん、そこまで無理やりやらせなくていいですよ!」と言われました。
とは言っても、このまま小学生になったら、どうすればいいんだろう?
さすがの私も、焦りを隠せませんでした。
子育ては、まだまだこれから…
子育てを、ブログで語るには、とても1回では終わりません。
大変なのは、まだこれからです。
これから、お母さんになる方のためにも、子育ての経験がない方のためにも、私の体験談によって、子育ての重要さを少しでも知っていただけるといいなと、切に願いながら、綴っていきたいと思います。
ERIのストーリーは、まだまだ続きます。
それでは、お楽しみに!